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戦争について
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『戦争について』に投稿された感想・評価

ヤマギシ会入門ビデオのようでもあるが、ふとした事からの臨死体験(それが間抜けなタイミングであればあるほど)で、これまでの人生を見直したくなるのは未知なる世界の入口としては間違っていない。その「カルト」のグルがアーシア・アルジェントなのは、狙いすぎ。空虚な屋敷内でのアーシアは『ラストデイズ』を嫌でも想起する。結構、映画史で重要な作家と組んでいたんだよアーシア。
そのカルトにのめり込むマチュー・アマルリックがうまい役者なのは100も承知で、癖ある物語でも絶対にぶれない強さ、大きな眼も開きっぱなしで洗脳されていく過程もバッチリ。ギョーム・ドパルデューは『ポーラX』のカルトからの地続きか。様々な映画と繋げたくなる作品で、終盤は『地獄の黙示録』のパロディのようだし、倒れた女性の画などは明らかにゴダールっぽくも撮っている。屋敷と不穏な森は『邪淫の館 獣人』あたりまでイきたいし、テレビで垂れ流されている『イグジステンズ』を見て、アマルリックが娼婦をキャンセルするよく分からないくだりまである。肉体的な欲求より精神的な快楽か。
カルト信者の無気力なダンスは思っているより良くない。ベタすぎる。が、この内向きな集団のある種の世紀末な遊戯が『ノクトラマ』で見事に成功するわけで、作家の表現は一つに繋がっている。音楽もベルトラン・ボネロ。エレクトロな音楽、ダンス、閉じた世界での集団がボネロの映画か。
異様な前半から後半はどれだけ烈しく壊れていくのだろうと期待するが、殺し合ったり社会に飛び出してテロを仕掛けたりすることは一切なく、ダウナーな日常と夢のなかでの「イキり」でぼんやりと終わっていく。それもまた悪くはないけど、バキバキを望むなら『ノクトラマ』で会いましょう。皮を剥いだ死体の標本、脳天を撃ち抜いた死体、暴力とセックスの匂いはあるにはある。
闇の王に老いたミシェル・ピコリ。若い作家がフランス映画のレジェンドをワンポイントで起用する、その国の映画の歴史に敬意を払っている感じで好き。こういうの日本は全然ないでしょ。レア・セドゥも少しだけ、ボネロ映画で脇役やっているセドゥは魅力的に見える。
あと、ヨルゴス・ランティモスの『ロブスター』ってこれが元ネタか。誰も教えてくれねえもんなあ。動物の格好したカルトに目潰し。断片を下敷きにしての良いとこ取りで「新しい」物語かランティモス。様々な映画の記憶が映画を作り、またその映画が別の映画を生み出していく…。
3.0

【マチュー・アマルリック棺桶に閉じ込められる】
第72回カンヌ国際映画祭にゾンビ映画『Zombie Child』を出品したベルトラン・ボネロの過去作『戦争について』を観てみました。

本作にダリオ・アルジェントの娘アーシア・アルジェントが充てがわれ、棺桶、ガラス張りの部屋でのサスペンス、呪術的な儀式といった暗号が散りばめられているのを観ると、本作はベルトラン・ボネロによるダリオ・アルジェントへのラブコールであることは容易に想像つくであろう。しかし、ひねくれ、己の欲望に拘りを魅せるボネロ監督はそう簡単に観客がこの映画を理解することを阻む。アルジェント的演出はアイスブレイクに過ぎませんでした。

ボブ・ディランの次の言葉の引用から物語は始まる。

「もし俺がボブ・ディラン出なかったら、俺は多分考えるだろう、ボブ・ディランには沢山の答えがあるだろうってね。」

マチュー・アマルリック演じるバートは棺桶に惹かれ、夜な夜な店に入り、棺桶で寝てみる。すると棺桶が閉じてしまい、彼は完全に身動きできぬまま一夜を過ごす。次の日、店員に救助される。彼はこんな体験はもう二度としたくないと思うのだが、その事件によって何か失われたと感じ、再び夜な夜な店に入る。もう一度あのような経験をしたい。閉じ込められたくはないがと。ひょっとしたら自分はもう死んでいるのだが、まだ死に切れていないのではとまで思い始める。

そして彼は、本当の生を求め、あるいは本当の死を求め彷徨ううちに儀式に参戦する羽目となったり、戦争に巻き込まれたりする。

タイトルは、カール・フォン・クラウゼヴィッツの同名軍事戦略論文に基づいており、劇中でもカルト教団の人が読んでいたりするのを目撃するでしょう。カール・フォン・クラウゼヴィッツのこの論文は、ナポレオンによって侵略支配されたプロイセンが、祖国奪還の為にどのように戦うかという戦略について書かれています。その戦術とは、ナポレオンの強さを真似ること。つまり相手の強さを模倣することで勝利に導く手法でした。この理論は、ビジネスにも応用されていたりします。

さて、この映画の場合、「模倣」というのを強調する為に、謎のダンス儀式が延々と続きます。体から魂が抜けてしまったようなぐにゃぐにゃした仕草で、人々は無軌道に躍る。一定のリズムで木霊する舞は、グルーヴを生み出し観る者に高揚感を与えるカルト教団の恐ろしさも同時に伝わってきます。

ふと、この奇妙でよく分からない展開を見せていく、そして戦争映画でもないのに、戦争の論文をタイトルに持ってくるこの作品は結局何を語ろうとしているのか?

これは棺桶に入りたい=死への願望を抱く者が、自己を捨て他者と共鳴する、とことん模倣することで自分を取り戻し生への願望を見出すまでの過程を象徴させたのではないだろうか?よく、一度死ぬことで人は生まれ変わると言われる。バヌアツでは、大人になると通過儀礼としてバンジージャンプを行う。自分を殺すことで、初めて大人になれると信じられている。まさしく、鬱病で、自分以外の他者が宇宙人のようにしか思えない彼は棺桶に閉じ込められたことで、死に対する独特な魔力に導かれる。そして自分を殺す儀式巡りに参加することで鬱から脱出することができる。ベルトラン・ボネロは歪つな結合によって、唯一無二なビジネス書を作ってしまったようです。本作には、宗教やネットワークビジネスになんか嵌らないぞと思っているブンブンですら思わず引き摺り込まれそうな悪魔性が宿っていました。