こーひー

雲のむこう、約束の場所のこーひーのネタバレレビュー・内容・結末

雲のむこう、約束の場所(2004年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

【〈憧れ〉と〈愛〉のセカイ―――「雲のむこう、約束の場所」】
長文失礼します。書きたいことが多すぎるので…笑

注意⚠:一部の新海作品と一部のMCUのネタバレが含まれています。

観た順番のせいでもあるが『君の名は。』『すずめの戸締まり』、『天気の子』、『秒速5センチメートル』、『ほしのこえ』を感じる作品だった。

新海誠は喪失感を表現するプロだと私は思っている。特に『ほしのこえ』と『秒速5センチメートル』、『すずめの戸締まり』ではそれが顕著に現れていた。『雲のむこう、約束の場所』もその一つだが、これは新海の作品で最も暗く重く感じた。内容が暗い映画は映像で明るさや特徴的な色合いを意識する傾向があると思う。しかしこれは、さながら一部のティム・バートン作品のように、内容も映像も暗いのだ。朝などの明るいシーンでもどこか暗さを感じるような表現があったと思う。

本作のキーワードは分断、憧れ、喪失の3つである。「分断」は南北に分けられた日本が舞台の時点でもそうなのだが、それと同時に浩紀と佐由里、拓也と佐由里、そして浩紀と拓也の心理的、身体的分断もある。3年後に3人が離れ離れになる展開に入る直前、3人が夕焼けを見つめるのを背後のアングルから捉えたシーンが映し出される。そのとき、浩紀と拓也が右側に、そして佐由里が左側にいたが右と左の間に日が差し、ちょうど真ん中を直線で分断していた。後に3人が分断されることを暗示しているかのようだ。「憧れ」は冒頭に浩紀がナレーションとして語っていた、佐由里への憧れと塔への憧れの2つがある。新海は主人公に憧れを抱かせて、しかし届かないやるせなさを描く傾向がある。『秒速5センチメートル』では主人公が初恋の人に会うことを夢見ており、その主人公のことが好きな別の女性の憧れも同時に描いた。『憧れ』は次の『喪失』につながる。本作の中では科学が専門的に難解に描かれており、頭を抱えた人も多くいるだろう。(私もです笑)
並行世界と塔が関係深いという設定だったが、並行世界とはいわゆる別の時間軸、藤田直哉氏の著書『新海誠論』における言葉を引用するならば「ありえたはずの未来」のことである。『秒速5センチメートル』と同様、本作もまた「ありえたはずの未来」との別れの儀式、喪の作業としての映画という見方ができる。塔への「憧れ」は失われた未来への「憧れ」のアナロジー的な役割を担っているのではないだろうか。

本作を観てハッとさせられたのは、並行世界、つまりマルチバースについての言及があったことである。知らない人には何のことだかわからない話になってしまい申し訳ないが映画好きがマルチバースと聞いて思い浮かぶのはそう、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)だ。
思えば2021年、マルチバース・サーガが始まり、最初にリリースされたのは偶然にも『ワンダヴィジョン』という、まさに"ありえたはずの未来を悼む作品"だった。新海誠はあるインタビューで、夢見た未来、理想の未来を失った経験から映画を作っていると述べている。『ワンダヴィジョン』が新海誠作品から着想を得ていると考えるのは無理があるとは思うが、少なくとも同じシナリオなのは見過ごせない。(『雲のむこう、約束の場所』では並行世界と夢の関係についても触れられており、『ドクター・ストレンジ2』でも夢は別の世界の自分の体験と言われていたことにも注目したい)

個人が世界に望むことは叶うほうが珍しい。

それは一見残酷な一文に思えるかもしれないが、それをいかに受け入れ、前へ進むか。それを彼は今後も描いていってくれるのかもしれない。
こーひー

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