カラン

愛と追憶の日々のカランのレビュー・感想・評価

愛と追憶の日々(1983年製作の映画)
4.0
母と娘の物語。

生きること、幸せになること、それは大変なことだけど、しれっと笑顔でなんとかやりくりする。しかし、生き延びてしまうこと。これは難しい。本作は、生き延びてしまう者をよく見つめる映画である。

“Terms of endearment”というタイトルは「人をいたわる言葉」という意味であるが、そういう言葉を分かっていてもなかなか言えない人たちの物語なので、取り消された言葉なのか、気づかなかった言葉なのか、”xxx”というのがまるで副題か何かのように付いている。邦題は「追憶」というのが相当にミスリーディングである。

「Dear フレンド」のdearは「親愛なる」の意味だから、en-dear-mentは「人に優しく」すること。その親愛の想いを本作の人物たちは表現できないので、人物に共感するか/しないかだけが映画の評価になってしまうと、是非は50:50となる。この映画はアカデミー賞を主要5部門も獲っている。アメリカ人は大いに共感したのだろう。アメリカの家族内での父性の極端な衰退は、おそらくこの映画への共感の重要な前提なのかもしれない。

しかしそういう観点に立ってみても、この映画の母と娘の関係は不可能であると思うのだ。エマ(デブラ・ウィンガー)の長男が、中盤のエマの浮気以降、あまりに可哀想な態度をずっとしていることを思い出していただければ十分だろう。エマとオーロラ(シャーリー・マクレーン)の関係の真実は、この長男の態度が語っている。したがって、もし本作がファミリーロマンスを語りながら、人間の真実を表現しようとするならば、この長男を絶対的に追わなければならない。病室でエマが長男にかける言葉はダブルバインドするもので、ぞっとするほどに子供の精神を破壊するし、terms of endearmentの反対の言葉である。本作は中盤以降で長男をクロスカットでなんとしてでも追うべきであったが、そうならない。だからなのか、続編があるようだ。『夕べの星』(1996)である。はて。

☆原光景

冒頭は、暗い部屋にベビーベッドがあり、酔っ払っているのか、頭がおかしいのか、それが親愛だと思い込んでいるのか、女がベビーベッドに足をかけて入ろうとするのを、横から撮っている。こうした空間性を排除した撮影は、勘違いしている監督が多い気がするのだが、本作は上手く取り込み、《挿入》として機能させている。ベビーベッドの記憶は外-挿された記憶である。体験ではなく、外からやってきたイメージであるので、横の明るい空間から女がやって来るショットは、《私の原点》に相応しい。

☆クロースアップ

かなりふんだんに使用。どれもいい。シャーリー・マクレーンもデブラ・ウィンガーも、表情は極めていい。人生のエモーションが顔にそのまま出たらこうなるのか。デブラ・ウィンガーの闊達だが儚さを漂わせる表情が忘れがたい。

☆病者

デブラ・ウィンガーの病気メイクが素晴らしい。



レンタルDVD。画質良し。音質は普通。

55円宅配GEO、20分の6。
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