shimiyo1024

二人だけの砦のshimiyo1024のレビュー・感想・評価

二人だけの砦(1963年製作の映画)
4.4
渋谷実監督、現代人、霧ある情事、バナナときて、4本目
掴み所ない人だなというのは感じつつ全然傑出したものには出会えてなかったがこれは素晴らしい

当時の新興団地舞台のブラックコメディという点でも、個人的にはしとやかな獣に次いで評価したい、奇しくもミヤコ蝶々が揃って出ている

開幕アバンタイトル即、佐藤慶ありがとう!
そして佐野浅夫、最後まで怪演見せる三國と次々出てきて、掴みバッチリ

全編、季節感としても良いが、秋の装いなのが良い
茉莉子(今作はふっくら系)も安定

アイ・ジョージ、初めて見たが、髪型含め、愛の不時着の耳野郎に激似

ギター・アコーディオンデュオの黛敏郎曲、アイ・ジョージ、鈴木ヤスシの彼女の雰囲気、特に薬局内でのアイ・茉莉子のやりとりとか特にだったが、演出の各所に、かなり63年とは思えない、70年に接近した風合いを感じる

・笠ちぇる最高!劇場に笑い
・オールデタラメ、オールウソよ
・キューバ製コンガの謎フィーチャー(コンガをボンゴと呼ぶ典型的ミスを犯している)
・茉莉子出産からの、オメデタの舞コーナー、やばすぎる! この狂気も、しとやかな獣的なところがある
・さらには、丹波にカチコミに行きーの、ギター弾き語り!
・団地を訪れるトイレットペーパー販売、防災、水道局(だっけ?)など、小ネタ
・坂道を奔走するところとか、あと特に金網など、団地の景観活かした作劇、ショットもイキイキ
・ヘリからのビラ散布シーン、美しい

自分の受けてきた印象は間違ってなかったと思わせると同時に、他作もさらに見てみたくなる、2007年にヴェーラであった渋谷実特集の館長コラム転載

澁谷実特集
2007/04/08
 澁谷実特集を終えて、実は僕自身そうは見ていなかったこの監督の諸作品をまとめて見る機会にめぐりあえた訳ではあるが、やはり一種の違和感は残るのだ。おそらく大方の澁谷観というのは、『本日休診』や『もず』などにおける、ややシニカルな笑いで現代風俗を切り取る作家ということに落ち着くと思うのだが、どう考えてもこの監督は、そうした小奇麗な分類に収まりきらない何物かを宿している存在なのである。
 デビュー作の『奥様に知らすべからず』や初期の『をぢさん』こそは無難な大船調をキープしつつも、どうにもこの人の作る映画とは、予定調和をどこまでも拒もうとする意思に貫かれているように思える(実際、澁谷作品の数々を見て後に『をぢさん』を見ると、この中で病気になった子供がきっと死んでしまうに違いないと思ってハラハラせずには画面を見続けることができなかった)。そうした肌合いが、澁谷をして「松竹の反逆児」との呼称に甘んじさせた所以ではあろうけれども、たとえば『二人だけの砦』などで頂点を極める、不条理としかいいようのないストーリー展開は、これを単に反逆児のこねた「だだ」とのみ受け止めるべきなのだろうか。いったい、ドラマトゥルギーなどという古典的なものは、澁谷にとってどうでもいいことだったのだろうか(個人的なことをいえば、『二人だけの砦』と『酔っ払い天国』の二本立てを組んだ日曜日は、年に何度とはない激しい二日酔いに見舞われた日で、それを押して見たこの2本は、僕にとって地獄のような体験ではあった)。
 澁谷実は、松竹における、小津安二郎に次ぐナンバー2の座を木下恵介と争った監督として後世にまで語り継がれている人だが、そうしたものとは全く異質の奇妙な何かを飲み込んでいた人だろうと思われる。遺作となった『喜劇 仰げば尊し』にしても、喜劇というタイトルが悪い冗談にしか思えぬような陰々滅々とした話で、どう考えてもある種の嫌がらせで映画を作っているとしか思えぬほどである。そこらあたりに、この監督の真骨頂があるように思えてならず、たとえば『自由学校』のオープニングタイトルで、自由などとつぶやく佐分利信におっかぶさるように高峰三枝子が観客に向かって「ふんっ!」と思いっ切り軽蔑の鼻息をふきかけるところなぞ、猛烈におかしいのであって、こうした瞬間は、澁谷的な笑いと今日の観客の笑いとがシンクロした数少ない瞬間である。いや、決してそうしたシンクロが数少ないとまではいわないが、違和感を持つ箇所が多いために、そうした印象を与えることになるのだろうと思う。
 生誕100年を経てなお、澁谷実は謎であり続ける。だからといって、つまらない映画かといえば、そうでもないのだ。こうしたあり様はそれはそれで、ことほぐべきことではないだろうか。
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