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ベニーズ・ビデオのヨウのレビュー・感想・評価

ベニーズ・ビデオ(1992年製作の映画)
4.5
「どんなものかと思って…」 それは歪な好奇心から起こった赦し難き事件。凍てついたビデオ映像と揺らぐ現実。これはお前たちの罪であり俺の罪である。一抹の悔恨と家庭教育の敗北。誰一人として”正す”者がいなかった。泣く子も黙る衝撃。

一見するとごく普通の中流家庭。だが一人息子はその心の内に黒々しい膿を抱えている。それを思春期だからの一言で片付けるのは馬鹿げているだろう。誰もが予想もしない非行を働いてしまうのだから。でもそれは本当に息子だけの責任なのか。仕事だ何だで日々家を空けっぱなしにして家族で一緒に過ごす時間を蔑ろにした親の怠慢が悲劇の最たる要因なのではないか。環境的には恵まれていても孤独を感じていた息子はビデオの中で世界との均衡を保とうとする。冒頭でも映し出される豚の屠殺の様子を観て彼は何を思ったのだろう。ビデオと現実の見境がつかなくなり取り返しのつかない事態へと陥る。現実世界でもっと家族の温もりを感じていればこうはならなかったのではないか。そんな遣る瀬無さが頭を支配する。

二つのスクリーンが構造を成す本作。スクリーンα(シネマカメラ)の片隅で起こっていることを鑑賞者はスクリーンβ(べニーズビデオ)で間接的に観せられる。αの人々はβでの出来事に悄然とし得体の知れない危機感に蝕まれる。ではαもβも両方観ている”現実”の我々は?たしかにこれは映画という虚構の中での出来事であるが、こっちの世界においてもαにもβにもなりうるのではないか?何の気も無しに身を置いているそこは本当に安全地帯といえるのか?二つの虚構と確固たる一つの現実。この関係性が意味するものとは?大きな問いを投げ掛けられ逡巡が続く。

これは勝手な妄想に過ぎないのだが、『ファニーゲーム』のアイツと今作の主人公ベニーは同一人物なのではないかと思っている(俳優が同じだからという理由もあるが)。今作においてその”異常性”を矯正されなかったベニーはこれが”正常”なんだと悟りを開く。残虐行為の味を覚え、その果てにあのゲームが勃発。より狂気性を帯びたベニーが齎す大惨事。一度始まった悪夢は決して途絶えることがないという証左か。2作を関連させるといろいろと見えてくるものがあるはずだ。知らぬ間にミヒャエルハネケユニバースなるものが進行していたのかもしれない(笑)

鑑賞後、完全なる放心状態に至っていた。何なんだこの地獄は。まともな奴が誰一人として出て来ない。悔やまれるのは親が想像以上の下衆野郎だったということ。あれじゃあもう救いようがない。これが貴様らへの罰だと言わんばかりに親2人へ悍ましい復讐をきめる。丸刈りにしたのはベニー自身の罪意識の表れだろうが、根本的に自分の過ちを親になすり付けているように見える。実際最後にはああなるのだから。予想もしなかったラストシーンには完全敗北を喫した。生涯忘れることができない結末。鈍器で一発殴られたような心地である。ベニーが非行に走るしかなかったその運命がただ悲しい。

『白いリボン』や『ファニーゲーム』を超える衝撃体験。個人的にハネケベストとなったかも。ヤバすぎるってこの映画。感情の氷河期とは言い得て妙よなぁ。ハネケよ、貴方は悪魔ですか。鬼よりも恐ろしいわ。
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