TaiRa

風の中の牝鷄のTaiRaのレビュー・感想・評価

風の中の牝鷄(1948年製作の映画)
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ずっと不穏で怖ろしい映画。病院での「泣き声聞こえない?」とかもうホラー。

戦後、夫の復員を待ちながら貧困に耐える妻。子供が病気になってしまい、その入院費用の為に売春に手を出す妻と、復員して早々その事実を知り妻を許せない夫。小津の描く最も分かりやすい「戦後」という感じ。ことの発端でありながら存在感の希薄な子供の名はヒロ。妻は友人に「金なら家具でも何でも売れば良かった」と言われる。妻は「少しでも家らしくしておきたかった」という理由で身体を売り、その選択に後悔の涙を流す。「家」という形を守る為に個人が犠牲を払うこの感覚が日本の敗戦に対する批評になっている。妻を許したいのに許せない夫が家庭内暴力に行き着いてしまうのも怖い。劇中に繰り返される「物の落下」が映画史上でも指折りの暴力的な階段落ちに集約されるのも巧み。物体が重力に逆らえず落ちるのと同様に、ここに登場する人たちは只々落ちるしかない。それに抗う事は不可能である。夫が売春宿を見に行って出会う娼婦がそのどうしようもなさを体現する。許しを乞う妻と妻に背を向ける夫を切り返す場面がいくつかあるが、これが怖い。背後斜め45度から映す人間の怖さ。ラストで何か希望めいたものを感じさせる音楽がかかるが勿論そんな希望はない。夫の背中で祈る様に手を組む妻。決して忘れる事が出来ないものを「全て忘れよう」と言ったって無理な話。夫がそれを言い出すのも罪悪感から来ているのでズルい。戦後日本人の「全て忘れよう」が以下に虚しいものか。

今作に出て来る笠智衆は若さすら感じさせる中年男だが、翌年があの『晩春』というね。これが失敗作とされ、結果的に小津=野田コンビ復活に繋がるのは面白い。
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