いち麦

風の中の牝鷄のいち麦のレビュー・感想・評価

風の中の牝鷄(1948年製作の映画)
4.0
小津安二郎の「長屋紳士録」に次ぐ終戦後2作目。耐え難いほどに心に傷を負った若い夫婦がそれを乗り越えていこうとする夫婦愛の物語と見た。よく取り沙汰されている夫の暴力的なシーンだけではなく、テーマも小津安二郎にしては珍しい異色の作品だと思った。監督自身は公開当時の評判の悪さもあってか失敗作と位置付けているようだが、自分には沁みた。ちょっと台詞過多な場面はあったけれど良作だと思う。

凛とした妻・時子役の田中絹代が見せる放心状態や嘆き苦しむ表情はとても見応えあった。何と言っても終盤の山場で、妻のやむを得ぬ不貞に荒び狂う夫・修一(佐野周二)、その苦しむ心の内まで思いやる妻の健気な台詞が胸を打つ。頭では事情も理解していたし他人の事としてならば許せることもどうにも吹っ切れなかった修一だったが、妻のあの言葉で夫は目が覚めたのだろう。態度の急変は唐突だが自分は素直に受け止められた。
友人のはずの秋子(村田知栄子)が度々、事後に時子を責める様子や、気にかけているように見せかけて売春の斡旋・仲介をしている織江の不快さ。その描き方がなかなかネチッこい。

至る所に残る瓦礫と石油コンビナートの大型原油タンクが何度も映し出され、戦前の古い日本の崩壊と戦後の再生との対比を思わせる。どことなく人の心の在り方も戦後になって新しく変わっていくことを窺わせ、ラストに見る夫・修一の前向きな決意に通じているように感じた。

戦時中作品 「父ありき」で親子を演じた笠智衆と佐野周二が旧友同士、腹を割って相談する仲で共演。若く凛々しい笠智衆の姿を見られて嬉しい。佐竹(笠智衆)の職場では後方の高い位置にダンスホールが映っていて面白い画だなと思った。
月島の「桜井」という闇宿が小学校のすぐ側にあり、子供たちの歌う「夏は来ぬ」が聞こえてくる、という演出にもハッとなった。
小津安二郎では珍しいとされるカメラが動いていたと見られる映像箇所も見つけられた。

《余談》
この作品に関する黒沢清監督の批評(考察?)の一端を知ったが(“亡霊(修一のことを指す)が登場する気味の悪い映画”との評)、自分にはズレた揶揄としか思えない。
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