ともぞう

黒部の太陽のともぞうのレビュー・感想・評価

黒部の太陽(1968年製作の映画)
3.5
今年は黒部ダム完成60周年。小4の夏休みに長野の知人宅に遊びに行き、そこから黒四ダムを観光した。子供だったこともあり、その大きさに圧倒されたのを覚えている。高度経済成長の前夜、電力不足が深刻になり、どうしても大型ダムが必要だったのだろう。今だったら中止になってもおかしくないような無謀な工事。多くの方が亡くなった。その人達のお陰で今の便利さを享受していることに感謝しないといけないと思う。CGのなかった時代だから、トンネルのセットに大量の水を流す。石原裕次郎はこの放水シーンで腕を骨折したらしい。それだけの迫力があった。

〈あらすじ〉
関西電力は黒部川上流に第四発電所を建設するため、太田垣(滝沢修)社長総指揮のもとに社運をかけて黒四ダム工事に当たることになった。間組の国木田(加藤武)と熊谷組の下請会社の岩岡源三(辰巳柳太郎)は、ともに現場責任者の北川覚(三船敏郎)を訪れ、ダム工事の難しさを知らされた。源三の息子の岩岡剛(石原裕次郎)は、トンネル掘りのためにどんな犠牲も省りみない源三に反抗し、家を出て設計技師として図面をひいていた。国木田はそんな剛と、北川の長女の由紀(樫山文枝)と見合いさせようと提案して、源三を驚かした。昭和31年8月、世紀の大工事といわれた黒四工事は、大自然との闘いの火蓋を切った。9月に入って剛は偶然、由紀と会い、親しさを増していったが、彼女が父の北川の身を心配するのを見て、源三の様子を見に黒部に向った。源三はめっきりと体が弱くなっていた。北川の黒四にかける熱意にほだされた剛は父に代ってトンネル掘りの指揮をとることになった。こうして工事が始って半年、犠牲者はすでに16人を数え、難工事であることが現場の人たちに不安を抱かせ始めた。翌昭和32年4月、北川たちが恐れていた事態が起った。軟弱な花岡岩帯にぶつかったのだ。5月に入ってすぐ、山崩れと大量の水がトンネルを襲った。この危機を切り抜けるため、色々な技術プランが検討されたが、工事は一向に進まなかった。そんな折りも折り、北川は次女の牧子(日色ともゑ)が白血病にかかって入院し、生命はあと1年と知らされたが、大仕事をかかえているので、娘のそばについているわけにはいかなかった。現場は労務者が1人、2人と去っていく状態で、彼らの士気は上らなかった。一方、太田垣はあらゆる手を尽して危機を乗り切るため莫大な金を投入、技術陣の科学的な処置と、北川や源三たちの努力が実を結び、その年の12月、ついに難所を突破。翌昭和33年11月、剛は由紀と結婚した。そして2月、北アルプスを抜いてトンネルが開通した。その瞬間を躍り上って喜ぶ労務者たちの中で、北川は牧子の死を知らせる電報に接し、激しく慟哭した。昭和38年3月、黒四ダムは多数の犠牲を出して完成した。その日はちょうど北川の停年退職の日であったが、北川や剛たちはダムの偉容に、無限の感動を覚えていた。
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