煌

イングロリアス・バスターズの煌のネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

最近になって改めて痛感するようになったのだが、「映画館で観られること」を当たり前の前提として作りあげられた作品の価値と体験を、受け手側も当たり前のように映画館で享受するという選択をとること。この一連の営みが、なんて美しく尊いものなのだろう、とひしひしと実感する。
そこにはある意味、作り手側と受け手側の信頼関係が成り立つ訳で、その信頼関係が螺旋を描くようにして、今後未来で生まれるかもしれない、まだ見ぬ傑作の可能性を繋げていく。

そういった意味でこの作品は、一つひとつの画、音、光、脚本そのものが、映画館という空間特有の緊張感と没入感を味方につけて、全ての要素が必要不可欠な、不可分なものとして組み合わさり、「これが映画だ」と言わんばかりに観る者を圧倒する。その計算され尽くしたスピード感と緊張感の高まりが、後半、衝撃的な映画館大爆発シーンで絶頂に達し、その残酷な光景にさえ、どこかで美しさとエクスタシーを感じてしまう「観客としての自分」が秘めている残虐性をあぶり出していく。
その瞬間、わたしはこの映画が映画でなければいけない理由を感覚的にはっきりと理解したし、その美しさに嫉妬心すらおぼえた。
前述したような、「巨大な螺旋」ー作り手と受け手が、作品と作品が、表現と表現が、過去と未来が、重なり合い、影響を与え合うようにして積み重ねていく目に見えない螺旋のようなものがあるのだとしたら、私はその螺旋自体の果てしないスケールと美しさを実感させられるような作品に出会うたび、正体不明の嫉妬心に苛まされながらも、結局は映画を作り、観るという営みの魅力にすっかり魅せられて、絡め取られてしまうんだろうな、と思う。
煌