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アングスト/不安のkensyoのレビュー・感想・評価

アングスト/不安(1983年製作の映画)
4.4
過剰な演出はなく、淡々としていて、それ故に胸に深く残る作品。
公開当時ショッキングと受け止められたのは「彼」が理解不能な悪魔ではなく、悲しみと怒りを感じている、ある意味ではとても無力な人間であり、少なからず社会に問いかけられる内容を含んでいたからではないかと感じた。

全編を通して、冷たい色彩の映像や構図がすごく美しくて、むしろ安らぎさえあるほどだった。

デビット・フィンチャー監督作品の色に少しだけ似ているけれど、フィンチャー監督の色彩が磨がれた、シャープなステンレスのような冷たさなのに対して、もう少し柔らかい、シャガール等の絵に感じる冷たさに近く感じた。
ロシアや東欧の風土に即した色彩なのかもしれない。

音楽はクラウス・シュルツェっぽいなと思ったら本当にクラウス・シュルツェが担当していたらしい。
ちょっと聞いただけでも思い起こされる音楽性も凄いなと思ったし、映画にも合っていた様に思う。

欧州全土で長らく上映禁止だった、という触れ込みの通り、ショッキングな内容だし、そういったシーンも僅かながらあるけれど、「ショッキングに、派手にしてやろう」という演出意図のようなものは感じなくて、映画も画面も淡々と進む。
そして、それ故の冷たい迫力があった。

主人公(と言っていいのか、ともかく主題となっている彼)は社会的な秩序とか善悪とか、そういったものからは完全に逸脱しているけれど、屈強でもなく、(例えば"キャンプ場でカップルを襲ってまわるような")不死身の怪物でもない。
むしろ身体的にも精神的にも貧弱でさえあって、常に怯えている。

彼は「完璧なプランがある」と何度も語るけれど、実際のところ彼にあるのは怒りと悲しみと、恐怖からくる混乱だけだ。

彼が望んでいるのは自分が受け続けていた苦痛(尊厳の剥奪と、監禁と、身体的な痛みと死の恐怖)を他人にも味合わせたい、ということで、実際には「救われ"たかった"」ということを繰り返し訴えているだけなのけれど、それを自認できない、もしくはそのことをもう放棄してしまっているように見える。
だから常に、独白するほど具体的で決定的な目的はなくて、そのための「プラン」というのも、そもそも存在しようがないのだと思う。

彼は、人格形成期に受けた虐待から、それ以外の心の有り様を学ぶ機会がなく、自分が「そう」であったのに他の人が「そうではなく生きている」ことに対してアンフェアだと怒りを感じていて、そしてその傷があまりにも深くて、そこから動くこともできず、何度もなぞり、苦痛を反芻することしかできなくて、ただ息もできずに溺れている。
そんなふうに見えた。

実在の事件を元にしている、ということなので被害者の方やご遺族にとっては悪魔に襲われたというほかないだろうし、哀悼の意を表することしかできないけれど、彼の「過去に繰り返された苦痛をなぞり、不合理に同じ場所を回り続けることしかできない」心理という一点についてだけは、ぼくは少しだけ共感できた。
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