Torichock

アンチェインのTorichockのレビュー・感想・評価

アンチェイン(2001年製作の映画)
3.7
「アンチェイン」

豊田利晃祭、開催中


誰一人、勝ち続けることのできる人間などいやしない。
7戦0勝6敗1分のボクサー、不器用で泥臭くどうしようもない、無垢で粗暴な男のドキュメンタリー。
登場人物は、このアンチェイン梶という男。

そして、そのアンチェイン梶と関わり合いを持つ、キックボクサーのガルーダ・テツ、永石磨、西林誠一郎。

この男たちの、友情と呼ぶには突き放され過ぎてる、けれどしっかりとつながり合っている物語を軸に進む。
関西弁丸出しで進む上に、呂律が回ってない人間多数のため、何度も聞き直さないと分かりづらいという欠点はあるものの、彼らが口にする言葉や、彼らの付き合い方を観ていくうちに、彼らが向かっていく方向や、なぜ彼らが繋がっているのかが、ほんの少しずつ伝わってくる。
そして、最後の闘い続けるガルーダの姿を眺める半助(アンチェイン梶)の姿が目に焼きつく。

相手を倒し、のし上がっていく世界。
その中で、この映画に出てくる男たちは、どこか頼りなくか弱ささえ感じてしまう。
リングの上に立てば、彼らは相手に牙を抜きながら闘うオオカミなのに、どうしてだろう?彼は、揃いも揃って脆い。

プロのリングで一度も勝つことのできなかったアンチェイン梶。一級の障害者手帳を持つこの男は、タクシーの運転手を片っ端からぶん殴ったり、"なんでも屋"といういかにもな商売を始めたかと思えば、組織への着信元に、黄色いペンキを頭からかぶり仲間を集めて殴り込みをしたり、よく知らないおっさんに"一緒に月を見よう"と声をかけたり、それそれは簡単に片付けてしまえば、基地の外の人には間違えない人。

だけど、そこに線引きをして、簡単に区別していいのだろうか?
社会からはみ出てしまった人間が流れ着いた場所で、それでも暴力の中で純粋に生きている人間をどうして指差せるのだろうか?

アホやな

と言いつつ、それでも付き合いが続いていく彼らの友情は、週刊少年ジャンプの友情なんかよりもずっと、サッパリしててベタベタしてなくて、お互いの話も通じてるのか通じてないのか分からないのに、ちゃんと繋がってるように見える。
まるで、豊田利晃自身と豊田利晃作品の登場人物との距離のように。

アンチェイン梶が服役(精神病院)に入所している間に、勢いのあった、強かった仲間・ファイターが、少しずつ負け始め、それぞれがそれぞれの道を選んで歩き始める。
家庭を持つもの、安定した仕事につくもの、そして、それでもリングに立ち続けるもの。

プロのリングで一度も勝てなかった男が、彼らに与えたものはなんだったのだろう?
ボロボロになりながらも、それでも立ち続けるガルーダの姿を見たアンチェイン梶の目には、何が映っていたのだろう?

格闘家としての光と影
人間としての光と影

でも、人生は光と影の二分だけじゃないだろう?

夢の終わりとか、社会への適合とか、やりたいこととか、自由とか、そういうものを全て、いつから自分に折り合いをつけていくのだろうか。
いつまでも、心の思うままに解放された人生を送ることは出来ない。いつかは、制御して、コントロールして、ブレーキを踏んで生きなければならない。
でも、それが出来ない人、ブレーキが壊れてしまった人がいでもいい気がする。

アホやな

と思いながら、でも、壊れたブレーキのまま突っ走るスピードの純粋さに、心を打たれたって構わないじゃないか。

誰にだって、ブレーキが壊れるくらい、踏み込みたい瞬間はあるから。僕はその時、ちゃんと踏み切る人間になりたいよ。

観終わって数日経つが、やはりこれもまたドキュメンタリーでありながら、完全に豊田利晃映画だった。
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