Torichock

クライムズ・オブ・ザ・フューチャーのTorichockのレビュー・感想・評価

3.8
<肉体の変容・超変態性癖をてんこ盛りにする「ボディホラー」の名匠>

臓器と身体の内部・変態エロ好き垂涎の名匠デビット・クローネンバーグ。
クローネンバーグ作品は「ザ・フライ」しか観たことがなかったので、本作品を見る前にU-NEXTで事前学習・おさらいをしたのだが、このおさらい期間中はもう頭がどうかしちゃうかと思ったくらいやばかった。

過去作品を見て感じたのは、作品内での一貫した世界観とか設定の説明とかは無視して「自分の今やりたいこと」と「エロと死」をぶち込んでる。
なので、終始ポッカ―ンとしちゃう・感じちゃう人もいると思う。
ただ映画館で観る映画というものが、乗ってしまったら降りられない乗り物だとしたら、どこに行くかわからない感じがもっとも映画的だと感じた。
(自分が思ってもみないところに連れて行ってくれるのが映画だと思うので)

<アートとエロスの奥にある本当の意味とはなにか>

今回のストーリーは〜って説明したいんだけど、うまく説明できる自信がない。けど、とても大切な事なので、トライしてみます。

物語はいつかの未来。人類は人工的な環境にも適応して、環境汚染とか感染症とかを気にしなくてもよくなった。そして、この世界ではもう"痛み"を感じる感覚を持つ人がいなくなった世界になっていた。
主人公ソールは加速進化症候群と呼ばれる症状を持っていて、体内にどんどん新たな臓器が誕生していくのだ。ただ、生きていくのに必要な臓器ではないため (雑草のような感じ)、パートナー・カプリースが自分の身体に新しく生じた臓器をタトゥーを施し摘出するショーで人気だった。
痛みをなくした世界では、アートとして自分の身体をカッコよく傷つけたり、顔を傷だらけにしたモデルが存在している。(あくまでアートなので、ファッションリスカとは一緒にしてはいけません)
政府は誤った進化の暴走を監視するために組織を設立しているんだが、ソールの元にプラスチックを主食として食べていた子供の死体が現れる・・・。

いや、書いたところで観てない人はイメージさえ沸かないとは思います。
でもこれが本当に大筋のストーリーなんだから!
でも不思議なのが、最初は見ていて「ん?どいうことだ?」と思って頑張って追いつこうと観ているんだけど、徐々にこの世界の常識や流行への解像度が上がってきて、見ているうちに馴染んでくるこの作りは単純にすごい。
着目すべきは途中の耳を体中に移植した男、通称「耳男くん」のシーン。

2人が行うアート (新しく生じた臓器にタトゥーを施し摘出するショー)は、無駄な進化・不必要な臓器の発生を自ら取り除くことで、いわば「こんなものはいらねえ」という人間の尊厳を誇示し、無駄な進化に対する否定を表現している。
それに対し、新鋭のアートとして、目と口を縫合して体中に耳を付けまくり、爆音でダンスさせるアートが人気を博す。
このアートを見た2人は「あんなに耳を付けても聞こえる耳は結局2つだから意味ないわ」みたいなことを言う。

耳を増やして人体を立体音響化する進化=アートは、一見前衛的に思えるんだけど、結局のところ二つしか聞こえていないんだから、アートとしてはただの形だけでしかないような感じにしっかりと思わせてしまう。
「いや、それな」と思わせる不思議なこの感覚、なんなんだこの説得力。
自分たちの摘出アートに意味と誇りがあるからこそ、ヴィジュアルのインパクトだけで中身が伴っていないアートに釘を刺している。
確かに、どんなにおしゃれにパッケージしようが、youtubeの「歌ってみた」動画に芸術性は皆無だもんな。

<Plastic boy-進化は未来への可能性・世界への挑戦状->

なのでソールとカプリースのアート(臓器にタトゥーを入れ摘出すること)は、この2人にとって超高度なSEXでありながら、自分たちの意識を象徴するものなのだ。

そしてこの2人の芸術に、プラスチックを食べた男の子の死体が絡んでくる。
この男の子の父は、プラスチックを食べれるように魔改造されていた。最低の環境の中でも生きていける人体改造だ。なので、彼の内臓には改造済みやで!っていうお墨付きタトゥーがしっかりと施されている。
しかし彼の息子の内臓にはタトゥーはない。
この男の子は、ナチュラルにプラスチックが食べれる個体として生まれてきた、いわばナチュラルボーンプラスチックイーターだ。
痛みを感じずに済むようになった世界から、さらに新しくとんでもない進化を遂げていたのだ。彼の父は母親によって殺された男の子の死体を、二人の摘出ショーで公表することで、新たな進化を世界に見せつけようとしていた。

しかし、2人の元に届けられ摘出ショーで開いた少年の臓器には、すでにタトゥーが施されていたのだった。
それは進化の暴走を監視する政府が、ショーによって逸脱した進化を世間に知られることを防ぐために、先回りして少年の臓器と魔改造済みの臓器と差し替えていたのだ。そう、隠蔽工作をしていたのだ。
(魔改造パパも、2人組・陽キャなエチエチ暗殺ガールズに消される)
深い悲しみに襲われるカプリースとソール。
そして、ソールは決断する。
自らの加速進化症候群を用いて、プラスチックが食べられる臓器を生み出そうと。彼は涙を流しながら、プラスチック製のチョコバーを食べた・・・

いままで二人のアートは、自分たちの特異性を活かした、自己表現のひとつにすぎなかった。しかしこの男の子と出会うことによって、彼らのアートは自分たちが生きているそのシステムや社会構造に戦いを挑むアートに進化したのだ。
これは、映画作家・アーティストとしてすごいことだと感じた。
大好きな肉体の変容とグログロな臓器・変態エロスを突き詰めながら、その映画の中で、人類の新しい可能性や未来への期待・システムや社会構造への挑戦状を、御年80歳のクローネンバーグが叩きつけたのだから。
まだまだ俺たちは進化できるっていうその精神はめちゃくちゃカッコよくないか?

<芸術は人を救える-Still A BLACK STAR->

昨年の秋ごろ、東京・上野公園付近にあるお気に入りの洋食屋さんに行った。
上野の森美術館前を通った時、ふととある個展が目に入った。インスピレーションに身を委ね、普段はなかなか行かない美術館に足を踏み入れた。
芸術家の名前は長坂真護氏。

「世界最大の電子機器の墓場」という異名を持つガーナのアグボグブロシーという街で、先進国が投棄した電子機器を有害なガスを吸いながら燃やし、1日わずか500円の日銭を稼ぐ青年たちの惨状を目の当たりにして、電子廃棄物や先進国が後進国に投棄した資源などを用いたアートを通して、世界にこの事実を伝え続けている活動家だ。

本作を観た時、真っ先に長坂氏の作品たちと僕の脳みそがリンクした気がした。
もちろん、パーツとしてプラスチックを食べる少年とかそういったアイテムが呼び起こした部分はあったかもしれない、本質的には発信の真意やアプローチも全然違うかもだし。
だけど過酷な生活が常態化している人々の存在は、私達の暮らしはどんどん便利になっていく一方「見えない化」されている、仕組みと構造と力によって。
ソールとカプリース2人の最後の行動は、その仕組みと構造と力への挑戦状だったんではないか?

この作品はアーティスト、デビッド・クローネンバーグの宣誓だったと私は感じた。だからこそ、この作品を観た私たちは何ができるかを考えてもイイのかもしれない。
「私は芸術家じゃないし、消費者で社会構造の一部だから」というあなた、それはきっと違う。
今この瞬間も、あなたはあなたの人生を描いてるあなただけのアーティストなのだから。
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