Yoshishun

ロッキー5/最後のドラマのYoshishunのレビュー・感想・評価

ロッキー5/最後のドラマ(1990年製作の映画)
2.8
"出来の悪いコピー"

シリーズ最低評価を記録しているシリーズ5作目は、前作で脳障害を患ったロッキーが現役を引退した直後の物語。かつての闘志や迫力は失われ、またもやポーリーが大失態を犯し全資産を失うという悲劇的な幕開けとなる。ところが、これがどうしたものか、1~3作目の出来の悪すぎるコピーにしか見えなかった。

本作では、ロッキーの試合シーンは描かれず、回想のみである。そのため、弟子を志願してきたトミーが本作のボクシング担当、ロッキーはリングの外でトレーナーとしての役割しか果たさない。このロッキーのボクシングシーンの少なさ(というより皆無だが)は、まさに1作目を意識した作りであることは明白ではあるし、ミッキーの教えに従いすぐにチャンピオンとのタイトルマッチをさせない姿も3譲りだろう。

シリーズ5作目にして、忘れかけていたのだが、ロッキーは実質4人暮らしであり、トミーの登場により家族との時間が奪われていくという設定は妙にリアルではあったと思う。確かにあのロッキーの息子となれば、友人から金や服を集られるのも無理はない。また、その息子自身はロッキーが相手にしないせいでどんどんグレていく。まあ解りやすい反抗期なのだが、父への怒りを糧にボクシングが上達していくのが皮肉的。

前作からそんな時間が経ってないはずなのに、成長しすぎてる気がする息子はこの際突っ込まないことにして、問題は本作から登場するトミー。1作目のロッキーのようなゴロツキで、頭よりも体重視の脳筋ボクサーである。もし1作目でロッキーのトレーナーがミッキーでなかったらありえた姿として彼が描かれている点については興味を引く。しかし、彼自身ロッキーを世界一のボクサーとして慕っており、めちゃくちゃ詳しいと豪語している割にはあっさりとロッキーを裏切ってしまう。キャラの心情の変化は重要であるはずが、トミーの扱いは驚くほど適当である。そして、彼を指導するロッキーも描写不足といっていい。そもそもミッキーの教えを伝えるのなら、最低でもタイトルマッチをすぐに行わない理由は伝えておくべき。トミーが王者、そしてロッキーのロボットと揶揄され苛立つ動機付けが不十分なため、トミーが金と地位に目の眩んだ若造にしかみえない。

そして、これは2作目からみられるが、取って付けたかのようなエイドリアンLOVE。しかも、今回は家族の時間を奪ったトミーを路上でボコってからの台詞なので感動の欠片もない。『ダイ・ハード ラスト・デイ』のダサすぎるイピカイエーと同じ臭いを感じた。

シリーズ完結編として、1作目の監督がカムバック、原点回帰を計ったものの、ほぼ全て空回りしている残念な作品。これは約15年の時を経て本当の意味での完結編である『ロッキー ザ・ファイナル』に期待するしかない。
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