まぬままおま

コントラクト・キラーのまぬままおまのレビュー・感想・評価

コントラクト・キラー(1990年製作の映画)
5.0
アキ・カウリスマキ監督作品。
物語は面白いし、上手いし、表現も素晴らしい。傑作です。

問題がある男は、職場でアホみたいに寝ている奴ではなく勤勉すぎる者である。


以下、ネタバレ含みます。


そんな勤勉すぎる者が主人公・アンリである。彼は水道局で寡黙に書類労働をしているのだが、同僚とは喋らない。昼休憩で一緒に食事もしない。職場では孤独だ。もちろん彼には恋人も妻も家族もいない。フランスからイギリスに来た彼は独身の一人暮らしであり、家に帰っても独り。咳をしても一人。その独りを楽しんでいるわけでもなく、無味乾燥とした暮らしをしている。

そんなアンリが職場の人員整理で解雇を促される。彼の人生には仕事しかないのだから必死に抵抗するはずである。しかし彼はしない。何の葛藤もせず、言われた通りに淡々と解雇の契約書にサインをする。気にするのは退職記念にもらった金メッキの時計の調子だけである。彼の解雇は即日行われ、仕事も職場という居場所も失ってしまう。彼の勤勉さは評価されず、職場の仲間との社交の方が大事であることも不条理に思えて悲しい。だけど彼が何の躊躇もせずに辞めた理由も何となく分かる。彼の人生には何もないから、仕事にも意味がないし、仕事を辞めることにも意味がないからだ。

意味ありげにみえた仕事さえ失った彼は自殺を決意する。そこにも全く逡巡はなく、勤勉に縄の強度を確かめる。

だけど悲しいことに彼は「強い」。首つり自殺は縄ではなく釘を打ち付けた木の弱さで失敗し、ガスによる自殺はガス会社の労働者のストライキによって失敗する。それもそうなのだ。彼は仕事のことで病むこともなければ無味乾燥とした人生を平気で生きられる。それはあまりにも平凡ゆえに「強い」。

だから彼は自らを殺すために殺し屋を雇う。I hired a contract killer(to kill me).
殺し屋の巣窟になっているバーで高らかに「ジンジャーエール」と叫び、自らの殺しを依頼する展開には笑ってしまった。

そこから彼は殺し屋に殺されるのを自室で待つ。スーツを着込んで待つ。けど来ない。居眠りしてしまう。殺されないから起きてしまう。夜になる。しょうがないから向かいのバーに行く。来るべき殺し屋に律儀にバーに行くことをメモして。いつもは酒を飲まないはずなのに、アホみたいに飲む。煙草も吸う。なんだこの殺しの待ち時間は。でも彼は花売り娘のマーガレットに出会ってしまう。

これは奇跡だ。アンリがマーガレットに出会ってしまったことは、彼の人生に意味が生まれた瞬間なのだから。彼が彼女に惹かれた理由は分からない。彼女はお世辞にもハリウッド女優みたいな見た目はしない。話が弾んだわけでもない。むしろ彼の口説きは「失敗」している。だけど彼には彼女のために「生きなければいけない」理由が確かに見つかるのだ。

だが殺し屋がやってきてしまう。そこから自分で自分のために雇ったはずの殺し屋から彼女と逃げるといった状況的に意味が分からない(好き)展開に進む。

実は殺し屋はアンリを殺すためだけの人物ではない。殺し屋は末期ガンを患っており、余命1、2ヶ月の命なのである。生きたいけど、死ぬ男。アンリとは対照的な人物なのである。だから殺し屋は最後の使命/天命として必死に殺そうとする。アンリは必死に生きようとする。
アンリとマーガレットの逃避行は紆余曲折する。殺し屋の巣窟で会った男たちが自暴自棄になって起こした宝飾店強盗に巻き込まれて冤罪に会うように。そして彼が彼女に迷惑をかけたくないために別れ、再度自殺ーこれは自分のためではなく彼女のためだーを試みるように。
しかしアンリは死なない。マーガレットは彼を懸命に探し再会する。冤罪は晴れた。彼が彼女と共に生きるために残された問題は殺しのキャンセルだけだ。

アンリは殺し屋に追い込まれてしまう。対峙してしまう。けれど彼は命乞いしない。殺し屋のガンを気の毒というだけだ。そして殺し屋が拳銃を構えるとき、銃口は殺し屋に向かい天命を全うしたかのように自殺をする。殺し屋が自らによって殺される。殺しのキャンセルはアンリの意志に反して達成されてしまう。そしてアンリは殺し屋とは対照的に生き始める。

アンリは、殺し屋との対峙の際に言葉を交わしたように負け犬であり、くだらない人生を過ごしているかもしれない。私もきっとそうだと思う。彼自身もそのことをキャンセルしない。でも人生はくだらなくていいのだ。くだらない人生をくだらないまま生きればいいのだ。別に〈私〉はそんなに変われない。アンリのように。アンリははじまりから終わりまで「強い」ままである。だけどアンリはマーガレットに出会えた。それは無味乾燥した人生に飾られる一輪の花のようだ。アンリはマーガレットのために花を買って贈る。それだけで生きる意味になるのではないだろうか。

問題がある男の問題は解決されない。でもそれでいいし、ささやかな肯定と受け入れが人生には実はある。そこにカウリスマキ監督の愛と優しさを感じるのは私だけか。

追記
表現に着目すれば、音声イメージの扱いが本当に上手い。ガスでの自殺シーンでは、アンリがオーブンに頭を突っ込む映像イメージに、ガスの音が消えていく音声イメージの連係で「失敗」が描かれる。殺し屋の巣窟に行ったとき、アンリが場違いな人間であることは店内のBGMが消えることで描かれる。さらに彼が「こんな場所、朝飯前だ」と言うとBGMは再生されて受け入れられたのが分かる。殺し屋がアンリのところにやってくるときは、靴の音が鳴ることで迫っているのが分かる。これはサスペンスの常套手段であるとは思うが、靴の音だけでハラハラさせるのはやっぱり凄い。

ショットが凄いし、フレームの切り取り方が上手い。特にモノに対して。殺し屋は黒の革手袋をはめて新聞を呼んで尾行している。そしてマーガレットを尾行して、アンリの居場所を突き止めようとするバスのシーンが登場する。そこでマーガレットのミドルショットがあるのだが、その背後に黒の革手袋をしている誰かに読まれている新聞紙が映される。人は映されない。でもこれだけで背後に殺し屋がいることが分かってしまう。凄い。しかも直前にはバスの乗車口に落ちている飴の袋か何かのゴミのショット。そんなの考えられるのか??と思いつつ、マーガレットがバスに乗ったことが分かってしまう。

他にも職場のシーンで蛍光灯が全面的に垂れ下がっているのは、光を空間に対して均質に与える工夫のように思える。

アンリが昼休憩で独りで食事をするシーンでは、口元がひきつってる。それが演出なのか演技なのかは定かではないが、彼の悲しさが見て取れるので素晴らしい。謎にカメラに目を合わせるのもよい。