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天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命のその他のレビュー・感想・評価

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《遠近を抱えて PartⅡ》を観てから鑑賞した。
「天皇の写真を燃やして踏みつけた」とスキャンダラスに取り上げられたあの作品は、約20分通して観るのは当たり前として、加えてこれも観ておかないと結局大浦信行が何を意図したのか、その片鱗を掴むことすら不可能なように思う。燃やしたのは「天皇の写真」ではなくて「天皇の写真を使った僕の作品」であり、かつ燃やして灰を踏みつけることで「内なる天皇性」を「昇華」させたのだと大浦自身は再三各所で表明し続けているが、残念ながら大浦のこの釈明は批判したがる人間にはいまいち届いていない。批判したい人たちは必ずしも理解したい人というわけではないから。ここに一つ大きな断絶を生む要因がある。で、さらにもう一つ大事なことは、別にこの映画もちゃんと観たところで《遠近を抱えて PartⅡ》を理解できるかというと別にそうではなく、ただほんのとっかかりが得られるような気がするだけだということだ。

運よく《遠近を抱えて PartⅡ》を観ることができたのでまあまあちゃんと理解しようと思いこの映画を観たけども、正直なところわかったことよりもわからなくなったことの方が多かった。加えて、素直に気持ち悪かった。人を殺した人間の恍惚とした独白もだけど、第三者の女性に「架空の妹」という立場におかせて、物言わぬ客体としているのが。
「三沢知廉の生き別れた双子の妹」として登場する「あゆみ」なる女性は、《遠近を抱えて PartⅡ》では現代によみがえった従軍看護婦として、母にあてたモノローグを読み上げる。両者に共通するのは、この女性は自ら語る口を持たないことだ。兄を想う妹も、母へ感謝の言葉を伝える看護婦も、それぞれ別の誰かによって書かれた独白はすべてナレーションのみで無感情になぞられる。語られるはずの口は動かず、映されるのは寝そべる足、ぼんやりとする目、閉ざされた口、それから毒々しいほどのピンク色の持ち物だ。
三沢知廉の関係者であった設楽秀行、鈴木邦男、森垣秀介といった右翼の中でも特に名だたる人物たちにインタビューする際にも「あゆみ」は頷くだけで主体的に言葉は発さず、意志を持たない。特に重要人物である設楽秀行、そして解説役である中島岳志との「対話」においてのみ大浦信行が登場する。「あゆみ」はわかりやすくただの操り人形に徹する。大浦信行がどこまでわざとそうしたのかはわからない。単に視点がマッチョなだけの作家なのかもしれないし、もしかすると、人としての権利を剥奪され象徴としての置物にされる天皇という存在との繋がりを何らかの形で見出すことができるのかもしれない。今のところはまだ何もわからない。なので、明確に批判するすべを私はまだ持たない。理解しようとすること、断絶を少しでも埋めようとすることは本当に途方もない。
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