ハシゴ高

ピーター・グリーナウェイ初期短編集(全2巻)のハシゴ高のレビュー・感想・評価

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『インターヴァルズ』
壁を起点に、いくつかの町の風景を繰り返す。
映像と映像が何によって繋がれているか、どう繋がっていれば「繋がっている」のかを考える上で、その基盤を壁に置くとどんな町の風景でも連続性を見出すことができる。つまり、物語は案外容易に見つけられる。
かなり好意的に見てる気がするけども、映像がやっぱりいけてるから良し。
アンチ旅行記らしいが、それは知らない。

『ウィンドウズ』
窓を境界に広がる、もしくは包む牧歌的な映像を対照に、音声はひたすら窓に関わる死のナレーションが感情を排したトーンで流れる。
窓の持つアンビバレントな寓意性を描いている、、、気がする。

『H•イズ•フォー•ハウス』
こちらもインターヴァルズと手法は類似している。
インターヴァルズでは壁を起点に映像、もしくは音声と言ってもいいが、それに連続性を持たせていたが、こちらでは頭文字にHが用いられる単語、短文の音声を起点に一家族の風景を写し続ける。
もしかして、グリーナウェイは映像と映像が繋げられた時にその連続性を明確にしつつそれを物語未満の最低限なものにして繋げることで逆に、繋げられた映像の完璧な断絶を探っているのではないかと考えた。
ナレーションにオートマティズム的な文章が入ったり、子供がHを担当した時には唯一ナレーションがsを担当したりと、不明瞭な部分は多い。

『ディア•フォーン』
ほとんどラジオドラマ(未満)だが、話が全く頭に入ってこない。
それは、内容の問題か、言語の問題か、映像の問題かは不明だが、全く関連性のない映像ではないこと、ただスクリプトを映すことから考えると、今度は映像と音声の接続の重要性を試していると言えなくもない。
映像にとにかくセンスを感じる、そこで勝負してこないことに逆に本気度を感じるが、いや、もしかしたら映像で勝負されてるのかもしれない。

『ウォーターラケッツ』
ディア•フォーンと似て、全く話が頭に入ってこない。
全く興味のもてない歴史ドキュメンタリー的なナレーションに、呆けを誘う水面の映像。
内省にはちょうど良い自然の擬似体験と心地の良い音声のマッチで、なぜこんな映画が作られているのかという根本的な疑問から目を逸らさせる巧妙さ。
第一映像がつまらないし、全く響かなかった。

『ア•ウォーク•スルー•H』
vol.1の中で最も長く、縦軸は前2作と共通している。
冒頭はピーターグリーナウェイ的映像で期待したが、あとはひたすらマラソンをさせられる。
観終わった時にはまさに完走した時のような、一種修行を終えたかのような感慨があった。
彼の書いた地図の絵の数々はとんでもなく魅力的。
現実を鋭く切り取れる人は、当然素晴らしいイマジネーションを備えているのだなと思った。
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