子供が虐待される。それも、えげつないほどに酷い目に遭う。
これだけでも、目を覆いたくなるような内容なのだが、この映画はさらにその残酷さを突き詰める。
シルビア目線での風景と、事件が終わった後の裁判の様子を交互に描いていくのだ。
最初はなんでもない関係だったガートルードが徐々におかしくなっていき、しまいには虐待に及ぶ様子。
虐待が続けば続くほどに激しさを増していく様子。
それらが、虐待を受けるシルビアの目線で描かれるのは、本当に観ていてつらい。
まるで自分が被害者になっていく感覚すらある。
しかし、裁判ではその事実が一切、否定される。
ガートルードも彼女の子供たちも、決して真相を語ろうとはしない。
被害者となった観客は事実を知りながらも、それが否定されていく過程を目の当たりにする。
この残酷さと人間の醜さ、おぞましさ。
どうにもならない気持ちを抱えながら、観客はシルビアのその後を体験していくしかない。
虐待は、もはや虐待という言葉では収まりきらないほどに加速する。
ガートルードの虐待だけではない。彼女に巻きこまれて、彼女の子供たちも残虐に変化していく。
クラスメートも近所の住人も、みんながみんな、徐々に狂っていく。彼女を虐待する。
そして、なにより恐ろしいのは、そうやって狂う様子が、決して異質ではなく、あまりにも自然に行われていくところにある。
人間はこういうふうに簡単に残酷になれるんだ、ってつくづく思わされる。
その人間の弱さにも震えを覚える。
シルビアは最後まで希望を見失わない。生きることを決して諦めない。
だからこそ、彼女が行きつく結末には、描き方も含めて絶望しか感じられない。
このエグさと言ったら、ほかに例えようがない。
これだけでも十分に見応えのある映画だと思うが、この映画は最後の最後まで何もゆるめようとしない。
じつは、裁判のシーンで語られている台詞は、すべて実際の裁判で証言された言葉なのだ。
ここにおいて、映画はリアルを超えたリアルにたどり着く。
現実にあったことだからこそ、見えてくるそのおぞましさ。
人間の醜い部分をすべて炙りだしたような、とんでもない映画だと思う。
観終わってすっきりすることも、納得することも一切ない。
でも、観る価値のある映画だ。