グラッデン

SOMEWHEREのグラッデンのレビュー・感想・評価

SOMEWHERE(2010年製作の映画)
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早稲田松竹においてレイトショー鑑賞。映画館で鑑賞するのは初めてだが、何度も見直している作品である。最初に鑑賞したのは20代後半だったが、多くの描写の意味を理解できず、不完全燃焼に終わった記憶がある。30代半ばに入って見直した時、主人公のジョニーの抱える【孤独】の存在を理解することができた。

著名な映画俳優でありながら、自分の存在に思い詰める日々を繰り返し、思い悩むジョニーの姿は所謂「中年の危機」と言えるだろう。そんな彼が娘・クレオが過ごす時間限定の「親子の時間」は、物語を経過するごとに彼を救済する、尊い存在に変化することに気づかされる。怠惰で空虚な日常から脱却しようとする物語終盤のジョニーの表情は、どこか凛々しく感じられる。

また、何度目かの鑑賞となる今回、新たな発見があった。ジョニーの日常を描いた本作は、彼を中心に据えた絵作りが大半であるが、娘・クレオを中心に据えて描かれる場面が何度か存在する。いずれも、父親が母親以外の女性と関係を持っていることを匂わせる仕草をしている場面でもあることに気づかされる。父親が自分に優しく接してくれることは嬉しいが、自分だけの存在ではないことを認識したように感じる。

ソフィア・コッポラ監督のフィルモグラフィを振り返ると、幼少時代の思い出から着想を得たという本作と『オン・ザ・ロック』(2020年)は、他の作品と質感が異なると思う。多忙な日々を過ごした映画人を家族にもつ娘の立場が、少なからず投影されているからだと思う。『SOMEWHERE』の中にある娘の視点というのに気づいたとき、本作が彼女の作品群の中において特別な存在であるのではないか。

新しい作品に触れることと同じように、何度も見直すことの大切さを実感する鑑賞体験だった。