さしすせ

ザ・マスターのさしすせのネタバレレビュー・内容・結末

ザ・マスター(2012年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

第2次世界大戦のPTSDに苦しむ主人公 フレディと、カルト宗教団体 "ザ・コーズ" 教祖 ランカスターの関係性を描いた作品。
実在する宗教団体がモチーフになっているとかいないとか。

「her/世界でひとつの彼女(2013)」の印象を丸ごとひっくり返すようなホアキン・フェニックスの怪演。
異様に痩せこけ、唇の端がつりあがるようなこわばったような喋り方、表情も固く、口を開けば"セックス"、重度のアルコール中毒。関わりたくない要素のオンパレード。

「宗教は民衆の阿片」というマルクスの言葉がふと脳裏をよぎった。
確かにフレディはランカスターと出会い、彼の船に乗り込んだことで、彼の構築する方舟で徐々にひとの形を取り戻してきたかのように見えた。
しかしそれは、依存先が変わったに過ぎないのではないだろうか。

依存。憧れ。目標。
家族も定職もなく海を漂う浮草のようなフレディにとっては、地位も権力も持ち家族や支援者に囲まれ快活な冗談で場を沸かすランカスターが眩しく映ったのか。
一方、実権を妻 ペギーに握られているランカスターにとっても、虚栄や束縛とは無縁で失脚に怯える必要もないフレディが眩しく映ったのか。

帰還兵、カルト宗教団体、洗脳。
気がかりな単語が並ぶが、これはただそれだけを描いたカルト宗教映画ではないように思う。
これらは単に符号的なもので、今作は、衝動と理論の対峙というか、本能と理性の狭間で日々を生き抜く我々人類の葛藤を俯瞰的に扱った作品に思えてならないのだ。
やや広義的に捉え過ぎだろうか。

余談ではあるが、ランカスターによる"プロセシング"のシーンでは、ついフレディと共に瞬きを我慢してしまいコンタクトレンズが乾いた。
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