かさい

博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったかのかさいのネタバレレビュー・内容・結末

2.5

このレビューはネタバレを含みます

アーレントはアイヒマン裁判を通して、ナチスの構造的な悪を指摘している。
ナチスが犯した悪で、最も大きな悪は大量虐殺であるのは誰もが知っている。では、その大量虐殺を実行したナチスの党員1人1人が悪であったのか。党員1人1人はナチスという機会の歯車の1つであり、伝達された指令を実行に移しただけとも考えられないだろうか。アーレントは、ナチスには党員に大量虐殺を効率的かつ容易に行わせる構造があった、これこそがナチスの悪の本質であったと指摘する。
本映画でも人の組み立てた作戦やシステムが、本来の意図とかけ離れた形で実行に移される。「R作戦」しかり「皆殺し装置」しかり。精神に異常をきたした将校が登用されたのも、「信頼度テストーに欠陥があったと作中で指摘される。これらは全て人為的な悪ではなく、構造的な悪である。
本映画に完全な悪人は登場しない。暴走した将校も信頼度テストに誤りさえなければ、悪人ではなく精神病患者として入院生活を楽しめていたはずだ。
本映画は構造的な悪に対する痛烈な皮肉が秘められている。「R作戦」や「皆殺し装置」などは構造的な悪の役割として登場している。もしかしたら冷戦という時代も、広い意味での構造的な悪であったのかもしれない。最後にストレンジラブ博士がナチスに示した敬愛は、ナチスが有していた構造に対する敬愛なのではなかったのだろうか。
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