鰹よろし

グレイヴ・エンカウンターズ2の鰹よろしのネタバレレビュー・内容・結末

2.9

このレビューはネタバレを含みます

 今作は特に前振りもなく、ショーンの母親のお世話をしている人間にモザイクがかけられている様を映し出す。ここで編集されているものだと我々に観せているわけである。さらに彼らのカメラだけでなく、行く先々の監視カメラの映像も用いられている。早送りもし始める。ここでもういくらでも映像をイジってますと言ってるわけだ。要はなんでもあり。

 なんだろ、冷める・・・

 まだ前作の方がうまかった。割り切れていた。前作は誰がこれを映し出しているのかが見えたからだ。まぁこれにも実は狙いがある。前作と全く逆からアプローチをしているのである。逆のアプローチにすることで際立つものがあるのだ。しかし何とも衝撃度が低い。これが今作がパッとしない原因だろう。最後まで観ればわかる、最後の最後まで観ればしっくりは来る。劇中保たなければならない緊張感がどうも薄いだけ。

 簡潔に言うと、前作は映し手が見えている前提での鑑賞だったのが、今作はそれが見えず誰の意図かが終始測れないのである。これがこの作品の肝。

 前作ありきにしようとする姿勢が伺えるのは評価できる点。前作のプロデューサーを出すことで、メディア批判を盛り込ませている。これが鑑賞者を感覚的にホラー映画と割り切らせない一番の理由でもある。正確にはモキュメンタリ―によるホラーの利点を削っている。ホラー映画の原点回帰を図る劇中の彼らとは全く逆の作品であることも原因だろう。

 今日TV業界では視聴率が勝負である。如何に衝撃的な映像をお届けするかに奔っている。ここをプロデューサーの登場で念頭に置かせている。これの極致は「ナイト・クローラー」を観ていただければと思う。

 前作の反響を下敷きにネットの普及による注目度の問題を絡めたのもそれだ。最初に数々の映画批判家(としておくか)を映し出した。注目を集めたいのである。彼らを支持する者の数。フォロワーや視聴数やグッドやいいね、コメントやメール。彼らを支えているものを意識させる。しかしそれは現実の人間ではなくネットの中に存在する実態を持たないナニカである。一番に言いたいのはここだ。これと幽霊を絡めたのである。

 病棟を探してはダメだと、何もないからという締め。これがどこまで狙っているのかはわからないが、この分野だとダメだと言われると逆のことをしたくなり、「何も無い」というのは「ある」と同じ意味を持つのである。これも注目というところに掛かる。


 最後の女の子2人の話も今流行の草食系男子をエグっていたのか。正確にはオタク男子か、ネット依存か。事前に主人公のマスターベーションを観せたのにも意味があったわけだ。

 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」では「ファインダー越しの真実(正確な表現は忘れた)」ってな言葉が出てきている。「グレイブ・エンカウンターズ」では作品全体でそれを意識させている。何かしらのフィルターを通して見る世界。カメラ本体で彼女を殴り殺すのもそれを狙っているのだろう。カメラの中で彼が彼女を殺すのではなく、彼がカメラを通して彼女を殺す構図。そしてそれを我々が見るところまでか。

 ゲームと現実の区別がつかなくなってきているなんてのが話題になった。TVや映画とリアルの対比もそうだ。最近では「アメリカン・スナイパー」なんてのがスコープ越しの世界を描いた。それを情報化社会におけるマスメディア批判も交えてお送りしているわけである。

 これがやっと最後、いや最後の最後で合点がいく。
鰹よろし

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