このレビューはネタバレを含みます
アンナ・カレーニナ、その名を聞いた事があるだけで実は内容ミリしらでした。
鑑賞して納得……これは人間をよく知る天才の傑作ですね!
美しい衣装とか目当てのジュード・ロウさまとか舞台の場面転換を取り入れた撮り方とか、映画としていつもの気分で採点する以前に、作家がはっきりと示したテーマ、どちらが正しいか幸せかなんて人間が人間を決めることはできないんだ!という現代のモラルハザードになりかねない真理の爆弾に愕然と膝をつきました。やばいな、コレ……。
ひとりの女性の不倫の末路を通して浮かび上がるそれぞれの愛の形がわかりやすく比較されて、一見、アリとキリギリスのように描かれているがそれと大きく違う点が凄い。
それは、神に許しをこいながら列車に飛び込み自殺したアンナではあったが、私にはちっとも哀れに思えなかったからだ。
哀れどころか、羨ましさしかない……
こう書くと、真面目な人々から軽蔑されるだろうし、アホ女とレッテルを貼られてしまうんだろう。
……わかっとるよ、そんなこたぁ!
でもさ、だったらなんでみんな、そんなに他人の不倫話が好きなんだい?
みんな、扇子で顔隠したり家族がどうとか法律とか迷惑とか色々、色々、それはもっともな理屈を並べてマウント取り始めるだろうけど、ほんとのほんとは……
自分にできないことしてるアンナの生き方が遭難覚悟のゴートゥーヘル!!大冒険のようで、自分の知らない世界に行けてしまうから!!!じゃないの?!?
アンナの辿る悲劇は当然の報いでキリギリス案件、それに対して、アンナを赦した夫のアレクセイが子供達といるお花畑の良き晩年や本当に愛してくれるひとに気付いたキティの義兄を介護する真に美しい姿と穏やかな実りある農村での幸福は暖かな冬を迎えたアリ……待って、私達は人間だよ??!?
私は人間って一概にアリとキリギリスとは違うんだなって、愛って人間の作った善と悪では秤にかけられないんじゃないかなって。
どちらが絶対正解かなんて、わからないぞと。
要は、あんなことしやがったアンナだからこそ、私達平凡を選んだ人生では味わえない絶頂も大絶望も知ることが出来たんじゃないか!!!ムキー!!!映画1000本観ても、アンナには到底なれないんだ!!!
そゆことw
そんなの美しくない、不倫醜いですか?ですよね……でも、あなたほんっとに観た?絶対ってまじ言えるの?
アンナたち、神様にあの瞬間愛されてましたよ!!!
悪魔かもしれないけど、監督はあそこに神を置いていた!!!(勝手に言い切るw)
私は、悪いことが嫌いで悪を憎んで、たとえ損をしても悪とは決別して生きてきた半生だと自負してるけど、(えっへん!)そんな私でもアンナ……上等やんけ!やるやんけ!と心から、ぶざまに轢死したラストのアンナの骸を前にさえも、密かにそう思えてしまったんです。
ここだけフィルマークスだけの話だぞw
そして、鑑賞後にアンナ・カレーニナの名言集を見つけたので映画を振り返りながら捕捉するように読んでみました。
「幸せな家族はいずれも似通っている。だが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」
アンナ・カレーニナの有名な冒頭の言葉だそうですが、アンナの愛も不幸を誰が知ることが出来るのか?と私は受け取りました。
そして、一番この作品から受け取ったメッセージともいえる言葉はこちらです。↓
「プラトニックでない愛しか理解できない人々は、悲劇だなんて、口にする資格はないんだよ。」
!!……まさに、私がこの映画から感じて目から鱗だった全ての台詞です。
アンナ・カレーニナ、あなたのように生きなければ、これが悲劇だなんて叫べないでしょう!
ふぅ……おいら喜劇でよかったなw
ジュード・ロウ祭り終わったら、また観直そうっと(ฅ'ω'ฅ)♪