このレビューはネタバレを含みます
穏やかなようで穏やかでは無い。平穏とバイオレンスの均整が取れた絶妙な作品であり、イマジネーションが可視化された唯一無二のヒューマンドラマである。
今作に於いて、特筆すべきはやはり幸子とはじめの事だろう。
子供なりに懐疑的ながらも“大きな自分”という奇妙な存在と向き合っている幸子の姿はなんとも愛らしい。幸子の鉄棒のシーンは特に芸術的であり、あのシーンだけでも観る価値があったように思える。そして、幸子は見事に逆上がりを成功させ、向日葵の花を咲かした。
わだかまりからの解放。
幸子にとっては逆上がりの成功は世界であり宇宙である。子供の彼女にとってそれは自分の全てと言える。
序盤の教頭先生の詩の朗読スピーチにあった「陽に向かって咲く花が私の芯に火を付ける」という、この言葉に掛かっている。
野に放たれたのにも拘らず、忙事に追われ本質を理解出来ずにいるという境遇は、現代に於いてそれぞれが往々に経験している事だろう。
そんな環境の中、自己と向き合うことで火が付いたと言える。
よくは理解出来ていなくとも、漠然と、感覚的に純真無垢な少女は人間の在り方、向き合う美しさを知り、向日葵の存在を知ったのだ。
また、はじめははじめで初々しく瑞々しい人間らしい生き方をしている。
彼は好きな子に声を掛けなかったことに後悔していることにも、後悔していた。
恋の始まりをよく“春が訪れる”と形容するけれど、皮肉にも何も始まらずに失恋してしまったハルノハジメ。
再起を可能にする青い精神。
そんな起伏の付き纏う人生そのものを感じさせてくれる、終わりから始まるリスタート感のある冒頭が良かった。
思春期というものは移り変わりの激しく、熱伝導率は高い割に薄情なものである。
本質を見出せど、不幸にならない訳ではない。幸福論が尽きないのもこれが理由である。
はじめに関しては自らが向日葵のようになり、新しい太陽を見つけては、他はアウトオブ眼中である。
しかし、とりあえずはそれで良いのかも知れない。好きな子と一緒に囲碁を打ち、夕陽を眺められる事が彼の今の全てなのだから。
ここでは2人を特筆したけれど、両親、祖父、叔父さん、その他キャラクターもそれぞれ粒だっていており、そんな抜群の魅力をもって創り出された上質なコメディである。
そして、最後はそれぞれが手を止めて自然の美しさ、夕陽の輝きを知る。台詞が無くとも、それぞれが感じていることが何となく解ってしまうようで、綺麗な終わり方だった。
笑えてほっこりする、中毒性のある作品である。