kirakirahikaru

奇跡のリンゴのkirakirahikaruのネタバレレビュー・内容・結末

奇跡のリンゴ(2013年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

ああいうふうに、命をかけていちるの望みを、細い細い糸を紡いでつなぐみたいに、バトンタッチしながら絶やさずにきてくれた人たちがいたから、今の流れができてきたんだよね。親父さんも、戦地でみた奇跡みたいなことを、娘さんの体のことも思っていたから、また命を懸ける覚悟をしたのかもしれない。
農薬を使いながら生活をたてることも命がけだけど、世間の目とか、生活の保障もなく真実を追うことも命がけ…お互いに命がけだったから、誰も責められないなと思う。農家さんの苦労を考えたら、安全できれいでおいしいものを安く買う、なんて釣り合わないことを求めることこそ酷だよなぁ…そして、私があの近所のリンゴ農家のひとりだったら、無農薬には賛成だとしても、まわりの人がこわくて木村さんに味方できる勇気はなかったんじゃないかと思う、情けないけど。ただ、ああいう差別や偏見は過去のものでも遠い海外のものでもなくて、学校や会社などでも誰かを嘲笑したり、仲間はずれにしたりなんてことはまだまだあって、自分もしてないかな、ってふりかえりたいし、どっちの味方とかじゃなくて、お互いの立場を理解しあえる人になれたらステキだな、と思う。にしても人は、自分が危うくなると、自分の立場を正当化してそれを守りたくなるのだろうね…
何かにつけ、どちらが正しいのか間違いかという議論がなされたりするけれど、人類の遠い未来のため、みたいな、そんな先を見据えられていなければ、いいも悪いも簡単には言えないな、と思う。だけど、本当にいいほうに賛成できる人でありたいな、とは思う。自分や家族の損得ではなくて。
周りの人に理解されない中、自分を信じて進むことは、まともな人なら病まずにはいられないだろう。しかも、大切な家族まで犠牲にしてしまっている罪悪感たるや、本当に苦しかったんじゃないかな…マイノリティのつらさ😢
娘さん、お父さんに、諦めないで叶えるということを見せてほしかったんだろうね…そういうのが、本当に必要な教育なのかも。そして、子どもを信じて矢面に立つということ、世間の壁みたいになること、だけど戦うんじゃなくてまわりに理解を求めること、親である意味って、そういうことなのかもしれない。

生きている、というのは、生かされている、のだと、改めて思う。自分が死なずに生きている意味。そして、本当に正しい方向に向かう人には、必ず救いの手が差し伸べられるのだと思う。偶然のようなすごいヒントは日々突然現れる。見逃しちゃいけない。
運命、というのは、ああいうストーリーなんだな…多分、私が今の家族に生まれこの人生を歩んできたのもそういうことで、ムダなことはひとつもない。

人間も、木も同じなんだね。薬を使えば使うほど、まわりの生物が敵になり、自己治癒力が弱っていく。薬や添加物やそういうものを、ぜーんぶ出すまでには、好転反応みたいな一見ひどくなったと見える症状がでるけど、出し切れば、自分で自分を治しながら、あらゆる生物を味方にして共存して生きられる。
この映画と再会できてよかった。
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