尿道流れ者

ホーリー・モーターズの尿道流れ者のレビュー・感想・評価

ホーリー・モーターズ(2012年製作の映画)
4.5
おじさんの七変化を見守る映画。有名なアコーディオンのシーンとか観ていて面白いが、このシーンや映画全体が何を意味しているのかが観ていて分からない。冒頭の映画館で何かをしている人の映像とそれを観ている観客、パーティで何もせずにバスルームにこもっていた娘に怒る父親役の主人公。そして、何かに変身し何かをし続ける主人公。ただ見る側や行為をしない側の人と行為する側の人の対比があるような気がする。主人公は変身して何かするなかでナイフで首を疲れたり、銃で撃たれても死なない。自らを変えながら行為する人には死が訪れないということは、何かをすることや変わっていくことを恐れない人間には大きな危険というものは訪れてもそこで終わりではないということは、挑戦や行為を怖れるなというメッセージなのか。パーティで、何もしなかった娘への罰が自分のまま生きることということは殻を破れないままでいることへの批判なのか。
美しさは観る者の定義で観察者がいなければ美はないかもしれないが、行為の美しさは行為それ自体が含む肉体的な動きや、運動が持つ目的・方法・過程・結果という一連の自己完結である構造のなかにあって、観察者の不在に影響されない。行為や行為者というそこにあるもの、肉体的・物質的な喜びが重要ということ。最後に車のリムジンが人間は見える機械をもう必要としないと言うのも、物質的(肉体的)なものから遠ざかる人々を悲しんでるからで、そもそもキッチュな物質性のアイコンとしてのリムジンが最後を飾る意味がそこにはある。
そこにある肉体的や物質的な喜びをいま一度思い出させるような挑戦的な映画。自分であることや自分になっていくことを考えさせられる感じ。
もう自分で言っててもわけわかんないけど、考えさせられる何かをを受け取れる凄い映画だったような。分からないけど。