さぃもんす

マルサの女をマルサするのさぃもんすのレビュー・感想・評価

マルサの女をマルサする(1987年製作の映画)
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今の映画のメイキング映像というものは良いところしか見せていないのだなと知った。本作は映画の作り方のお手本ビデオのようだった。まだ学校に入学して間もない私は映画についての知識はほぼ0だ。本作は映画の鑑賞側から映画の中の人にならなければいけないと切り替えさせられるものだった。

例に出ていた板倉と権藤の掛け合いのシーン。最初に本編の映像を見せられて、その後にそのシーンの解説だった。どのように撮っているか考えながら見てみようと思っていたが、いつの間にかその本編のシーンに私は釘付けになっていた。本編が終わり解説が始まると自分が夢中になっていたことに気づき、まんまと伊丹ワールドにはまっていたことに気がついた。人を飽きさせないカメラと役者の動き、画面に無駄なものがなく、人の視線をどこに惹きつけるかが計算されているようだった。

本編を鑑賞して気になったことは、板倉の息子のだいちゃんが画面上には出てこなかった。何故なのか。これはレストランで赤ちゃんに笑いかけるシーンや権藤の息子についての相談にのるシーンに繋げるために、お母さんであるという設定にしたのではないかと解釈した。ここから普段は男の中で激務をこなす板倉が人間味もあるということを表現したかったのではないか。

調べてみるとマルサの女のゲームが発売されていた。ゲームが原作で映画が作られるというパターンはよくあるが、映画が原作として作られたゲームが存在するというのは初めて知った。
このような只者ではない人が64歳で亡くなってしまったというのはとても惜しいことだ。
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