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愛のコリーダのちらりのレビュー・感想・評価

愛のコリーダ(1976年製作の映画)
4.9
裸であるとかいない事は、決して重要では無いだろう。堕落に対してあたりまえに在る軽蔑は果たして本当か。その事がこの作品のテーマであり、大島渚監督であり、生身の定という人間の叫びだったのではないか。一方で、人間を人間たらしめるものは何かと言う思いが鑑賞中ずっと頭を擡げていた。
なんだか坂口安吾を思い出す。
「人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くではありえない。人間は可憐であり、脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。」
又この作品がヨーロッパで今でも大変賞賛されているのは、やはり宗教の違いが大きいと思う。例えば日本は生きることと仕事を同等に捉えており、そこに本来の姿や生きがいを見出す。しかしヨーロッパ圏、特にフランスでは仕事を人間が神から与えられた罰(旧約聖書でアダムとイヴが禁断の実を食べたことから始まる)とし、意識として仕事は片手間のもの。更にヴァカンスを数ヶ月とるがヴァカンスには空っぽという意味もあり、その間何もしない。これが人間本来の姿だと考えているからだ。だから日本人に言うように賞賛の意味も込めて「よく働くね」と同じようにフランス人に言うと反発すると聞いた。
そう考えると愛のコリーダに対する日本とフランスの評価の違いが少し理解できる。
ところで晩年、定は土方巽と親交があったと言う。土方巽と言えば大野一雄。そして天井桟敷の寺山修司。時代の魅力が詰まっている。しかしとにかく本当に疲れた映画だった。
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