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ペトラ・フォン・カントの苦い涙のnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.2
 階段の目の前に構えられたカメラが、階段の上でじゃれる猫の姿を落ち着いて据えた後、ゆっくりと後退すると、この部屋の全貌が明らかになる。殺風景で生活感のないウッドハウス。ダブルベッドには相応しくないやせ細ったご婦人。彼女を起こすためにシャッターカーテンを開ける黒いシックのドレスの女がゆっくりと空間に足を踏み入れる。複数のマネキン、高そうな絨毯、グレーの電話など殺風景で仮住まいを予感させる部屋に、この家の住人であるペトラ・フォン・カント(マーギット・カーステンゼン)とその召使であるマレーネ(イルム・ヘルマン)は住んでいる。ペトラ・フォン・カントはどうやら売れっ子のファッション・デザイナーらしいが、ペトラと召使マレーネとの関係性は一切明かされない。この空間ではThe Plattersの『Smoke Gets In Your Eyes』のレコードがターンテーブルにセットされた時だけが、ペトラとマレーネにとって至福の時となる。離婚したペトラは男性を忌み嫌う言葉を吐きながら、召使であるマレーネをまるで奴隷のようにこき使うのである。

マレーネは声が出ないのかそれとも言葉を発さないのか、一切の言葉を発することがない。彼女はただ黙ってペトラの命令を聞くだけであり、何かしらの不平不満を言葉で伝えることはない。ただその時々の感情の機微はペトラの行動や言動により、一瞬固まったり、引きつったような表情をペトラに投げかけるのである。どうやらこのマレーネという女性は、ペトラを密かに愛しているらしい。だがある日、ペトラは友人の紹介により、カーリンというモデル志望の女性と出会い、一瞬で恋に落ちる。カーリンはペトラのようなブルジョワジーの人間ではなく、労働者階級の人間であることが彼女の会話からそれとなく認識出来るが、彼女の口から語られた両親殺しのエピソードにペトラは大いに心を震わせることになる。結果的に見ればこの話が現実なのか狂言なのかは定かではないが、ペトラはカーリンの心の闇に触れたことで、彼女をより一層好きになり、この部屋での同居を始めることになる。だがその蜜月関係はほんの一瞬しか続かない。モデル志望のカーリンにとってペトラとの交際は自分がこの世界でステップアップするための足がかりにしか過ぎず、レズビアンの関係性に魅力を感じていないカーリンは結局、元の夫のところに戻ってしまう。今作はあまりにも早過ぎたLGBT映画として異彩を放つ。

前作『四季を売る男』でも、妻の一度きりの浮気が許せなかった男が、やがて正常な判断力を失い精神が錯乱していったが、今作でも自分の誕生日に徐々に錯乱していくペトラ・フォン・カントの感情の起伏と病状の進行が息を呑む。まるで当時のジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズの映画のように、正常だった人間が徐々に狂っていく様子を、殺風景なインテリアと演劇的な構図、演者の魅力を引き出すようなカメラワークで魅せる。果たして愛情と所有欲とは同義なのか?ファスビンダーらしい苦々しく冷ややかな対象との距離感、監督の目線とは裏腹に激しく壊れていく主人公の演技、ある種の倒錯した世界観はマネキンの背中に生えた孔雀の羽、マネキンのベッド・シーンでの直接的な絡みが暗喩的に用いられたクライマックスの性交シーンにも明らかである。心なしかプッサン作の「ミダス王とバッカス」の絵も象徴的に用いられ、沈黙の人マレーネがタイプライターを打つ音は彼女の心の内の叫びや悲鳴にも聞こえてくる。今作を最も特徴づけているのは、女だけの世界であって男性が一切出て来ないことである。会話の中に男が出て来たり、電話の受話器の向こう側に男が出て来ても、実際に出てくるのは女性のみであり、ペトラ・フォン・カントの住居の中に限定して起こる人間ドラマなのである。ファスビンダーは今作を発端にして、男性的なドラマから女性的なドラマへと見事な転換を図る。72年のファスビンダー作品の一作毎の劇的な変化はあまりにも濃厚なのである。
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