あんじょーら

エリジウムのあんじょーらのネタバレレビュー・内容・結末

エリジウム(2013年製作の映画)
2.9

このレビューはネタバレを含みます

あの!「第9地区」の監督最新作!ということで劇場に足を運びました。


西暦2154年。地球では汚染が進んでいて、全世界的なスラム化しています。一部の特権階級は宇宙ステーション「エリジウム」へと移民しており、完全な階層社会となっています。孤児院で育ったマックス(マット・デイモン)は今は工場に勤めていますが前科があり、それでも生活を立て直そうとしているのですが・・・というのが冒頭です。



SFでありながらも、かなりのすさんだディストピア映画だと思います。そして医療という手段を独占するという事がどんな権力を握る事にあるのか?を見せつけてくれます。階層社会の断絶の大きさ、あくまで一握りの権力者だけがすべてを統轄することの恐ろしさ、そして、システムとして組み込まれた中にも野望を、さらなる権力を邪なチカラを持ってしても手に入れたいという欲望が生まれる事の恐怖も観れます。そういったディストピア映画でもありながら、アクションシーンもかなり面白かったですし、主人公マックスを演じるマット・デイモンさんには個人的な感情があり、イマヒトツ乗れなかったのですが、悪くもないです。でも、いつも通り、と感じさせます。


それよりも、脇のキャラクターであるマックスを案じる友人のフリオ役のディエゴ・ルナさんは非常にイイ男で良かったです。演技も出番は少ないながらも印象に残りました。また、何よりまた観れて嬉しかったのが「第9地区」のヴィカスことシャールト・コプリーさんです。あの巻き込まれ、散々な目に遭いながらも、最後の最後に他者への手を差し伸べる利他的行為(=ヒーロー像)を苦渋の末に選んだヴィカスさんが、今度は完全な悪役を演じています。まずそこにビックリしましたし、その演技力が素晴らしかったです、身体も鍛えて見違えるようでしたし、様々なキャラクターに説得力を持たせるのは、さすが役者さんですね。



物語の構造的にも、演出も、どう転ぶか分からない部分が素晴らしいですし、地球とエリジウム(=ユートピア)の関係や対比も素晴らしかったですし、前作のアーマードスーツやミサイルの飛び方、ホバータイプの飛行機のスタイルなどの素晴らしさを引き継いでいますし、衝撃度は低かれど、水準はやはり高いと思いますし、ガジェット(ビームのシールドが出てきますし、その実用度が完璧ではない部分のリアルさがとても良かったです)も好きです。



でも、私は結構気になる部分がいくつかあって、もろ手を挙げての賞賛ではなかったです、ちょっと残念。でも、もちろん十分楽しめました。



SF作品が好きな方に、ユートピア≒ディストピア関連が好きな方にオススメ致します。






アテンション・プリーズ!!!

少々偏った意見だとは思いますが、あくまで個人的意見です、私は映画なんか作れませんし、生産的な事は出来ませんしましてや芸術に対する理解も少ないですが、受け手の一人の感想として考えをまとめてみたいので文章にしています。批評ではなく、勝手な感想です・・・














































マット・デイモン。彼の出演作を好んで選んで見ているわけではないのですが、いくつかの映画を見ていますし、見ていない作品は数多いです。でも、中でも印象的だったのが「グッド・ウィル・ハンティング」と「プライベート・ライアン」です。この2つを見てしまって、どうしてもあまり好みじゃなくなってしまいました。


しかも「グッド・ウィル・ハンティング」は自ら脚本に名を連ねています。で、この映画に個人的にはヤダ味(能力を隠しつつも、実は認められたい欲は非常に強い)を感じる上に、自ら主演、というところがダメでして。しかも「プライベート・ライアン」でも似たようなヤダ味(たくさんの戦死者がいる中で、特別な何かの能力や情報を手にしたわけではない人物ライアン1人を救い出すために何十人もの命を犠牲に出し、しかも、そのライアンは救うに値する人物であることを割合あっさり皆が認める・・・)を感じさせ、しかも、これは脚本であり、演じているのですが、そこはかとないマッチョな(「俺ってイイ役演じてるし、その通りの人物に見えるだろぉ?」という絶対言葉では言わないけれど自負を感じさせる)演技に見えるんです。



そういう役を求められているのか?自ら求めているのか?も分かりませんし、私がそういう印象を持って、キャラクターではなく本人に嫌悪感まで感じさせるのは『演技が上手い』ということなのかも知れませんけれどね。どうも嫌な感じがします。



と、ここが前置きなんですが、主役であるマックスというキャラクターにキャスティングするなら無名の、もっと匂いや先入観を持たせない配役の方がより際立って面白かったんじゃないかな?と思うという事です。



そして、最も私が気になったのは結局今回も自らの命を差し出すという究極的な犠牲を行うのですが、それにしてはその葛藤や逡巡があまり感じられなかった、という部分なんです。だからこそのマット・デイモン・ヤダ味を今回も感じてしまったという事です。前作「第9地区」の主人公ヴィカスは逡巡に逡巡を重ね、何度も挫けながらも最後の最後に利他的な行動を採るのに、今回のマックスは割合最初からその状況を受け入れてたように感じさせますし、それが不自然であればあるほど、マックスがマット・デイモンに見えてきて、どうも・・・



そして、同じ映画の最終的着地の部分、マックスが命を賭してシステムの書き換えをする部分・・・・でも、技術者が来たら、あるいはこの状況に満足しないエリジウムの住人たちが、システムを再起動、もしくは新たなシステムを作り直すんじゃないの?という疑問が、より結末の余韻を急速に醒ましてしまいました。そりゃ開発者だけが知るシステムもあるでしょうけれど、これだけ技術の進んだ世界なら、再起動や新たなエリジウムの住人にとっての都合の良い新システムを作り上げることぐらいやるだろうな、と。しかもエリジウム側の意向は全く感じられないし、意識の変化も起こっていないんですよね・・・結局クルーガー達だってエリジウムに暮らしているわけではないですし。



ジュディ・フォスターも良かったんですけれど、もっと積極的に嫌味を出したり二面性のある描き方をするか、何故強権的な思考を持つに至ったのかを差し込むとか、もっと若くて意外な人物に演じさせるか、いろいろ考えてしまいます。


と、言いつつも、もちろん楽しんだんですけれどね。