カラン

それでも、愛してるのカランのレビュー・感想・評価

それでも、愛してる(2009年製作の映画)
3.5
おもちゃ会社の二代目社長が鬱病になり、無気力になり、家族に捨てられて、自殺に失敗すると、ビーバーの人形をゴミの中から見つけて、、、ホームコメディ。


☆祟り神 

アシタカは右手に祟り神を受けたが、ウォルターは左手にビーバーが憑依する。腹話術的にやりたかったのかもしれないが、そこは普通。しかし、左手の切断にまで至るのであるから、疑似鬱病のような軽度のものではない。ビーバーが自律的に振舞いだして、ウォルター(メル・ギブソン)が自分のしたい話をできずに妻のメレディス(ジョディ・フォスター)に電話をかけるところで、ビーバーに乗っ取られそうになる。

電話を切られ、格闘になるところはしっかりサイコ・ホラーできていた。狂気から自律性を喪失する人間が放つ、凶悪な圧力を描写するのに、メル・ギブソンはうってつけであった。また、ジョディ・フォスターは夫を愛するが、鬱病の症状を受け入れられず、子供を言い訳にして、ビーバーの切断を招いてしまう。そこまで否定するか?という話であるが、頑張る。ただし演技は少し遠慮ぎみか。また、自分のストーリーが持つ力を認識しきれていなかったか。

☆監督術

もう少しウォルターの症状に迫りたかったところ。電動ノコギリによるアクティングアウトに至るシーンは良かったが、ロングショットの中にウォルターを据えられていない。また、「父の父」への抑圧された愛情と憎悪がビーバーという症状になるところをしっかり描けていない。同じことが、息子のポーター(アントン・イェルチン)に起こり、彼は壁に頭を打ち付けるのだから、せっかくアントン・イェルチンなのに、壁に張ったこれ見よがしのメモをスクリーンに映しておしまいというのはいけない。父が父を恨んでおり、その憎悪が息子に伝播しているというストーリーを描けているとは言えないだろう。

ウォルターの左手はポーターの頭、それはビーバーであるし、ヘンリーの持っていた紙粘土の髑髏となるが、ポーターには、何も、ない。だからポーターはカウチで寝ていた。その「鬱」の連鎖がジョディ・フォスターには見えていない。ノラ役にジェニファー・ローレンスを起用している。中途半端に演出を膨らませて、ポーターの鬱を持ち去らせてしまい、この家族の本当の問題に目を瞑ってしまうのは失敗である。終盤のポーターとノラの安っぽい青春ドラマの展開が非常によくないのだ。映画の深みを埋めてしまっている。

撮影は35mmフィルム用カメラを使用している。予算は2,100万ドルとけっこうな額をかけたのだが、興収は700万ドルと振るわず。メイキングに収められた撮影現場の彼女はノーメイクで、どう見てもアシスタントの怖いおばさんという感じである。それがインタビューになった瞬間、プリプリに可愛いくなる。自分の可愛さは売り物でしかないんだろうね。その割り切りは好感がもてるし、彼女が出演することで当然、映画は売れるのであろうから、興収面を考えて監督と女優の両輪となるのであろう。

彼女は自分の物語を探しているのだという。自己発見self-discoveryができる作品の監督をしたいのだし、それ以外に興味はないと言っていた。彼女の映画を観て、これぞジョディ・フォスターらしい作品だ、と観衆に思ってほしいということであろう。メル・ギブソンが1人気を吐いていただけに残念だ。自分のことなど気にもかけずに、鬱病とコメディの研究に打ち込まないならば、本末転倒というだけである。


レンタルDVD。55円宅配GEO、20分の7。
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