きになるき

完全なる飼育のきになるきのネタバレレビュー・内容・結末

完全なる飼育(1999年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

寿司と天丼のくだりが好きだった。

食事って生理現象をめぐって理性がパワーバランスをコントロールしようとするけど、飼育関係っていう絶対的事実が横たわっている感じ、人間の気高さと生物としての弱さが混じり合ってて最高だった。


でも、岩園さんに勝手に失望したのは、あそこで「逃げたかと思った」って言ってしまったのに、そこで彼の心中に明らかになったであろう、邦子への違和感をそのままに、甘い生活を送ったことと、それ以上に、捕まってから、法の秩序の中で事実を説明しようとしたこと。

私は、あそこの場面にあったのは飼育関係の逆転とか勝ち負けではなく、行為を反転させたことによる理性の呼び覚ましだと思う。

それは、その後成立するかに見える愛に「これは歪なものである」と刻印し続ける。このことは、彼の愛の希求行為が決して完遂されないことを意味する。

そうなれば彼は、単なる秩序上の「刑罰」を科されるに留まらない。彼は、彼の行為によって、彼自身を、絶望に叩き落としたのだ。

それなのに岩園は、その絶望を罪という事実として表現した。

私は、彼には死刑も無期懲役も望んで欲しくなかった。だって彼はすでに死に比する傷を得ているはずだもの。

とはいえ、そこで秩序上の「罰」に逃げる人間だから、レイプとか飼育とかの発想に至るんだとも、思う。

自力で心から愛を希望し、その結果に孤独に絶望できる人ならば、自分の行為を「罰」という他人の言葉に語らせることを惜しむだろうから、そう思う。

でも同時に、多くの人間の等身大の在り方とは、そうやって秩序に内包されて生きている様なのだとも思う。それはとてつもなく惨めだけど、それも人間の在り方なんだろうと思う。