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レモネード・マウスのRenのレビュー・感想・評価

レモネード・マウス(2011年製作の映画)
5.0
「ディズニーチャンネル」すぎて100点。2000年代ガールズロック世代にぶっ刺さって100点。『スクール・オブ・ロック』『シング・ストリート ~』好きを一撃で仕留めに来ていて100点。学生時代 軽音楽に傾倒しなかった自分を殴りたくて100点。素晴らしき青春に100点。その他諸々加点して10万点でフィニッシュ。

物心がついた時期に『ハイスクール・ミュージカル』や「ハンナ・モンタナ」や『キャンプ・ロック』がある世代で良かった〜と何度も思ったが、自分より下の世代には『レモネード・マウス』があるじゃんと、それはそれでジェラシーを覚える。
ディズニー好きの枠を超え、ディズニーチャンネルは90年代半ば〜00年前後生まれの少なくない少年少女のDNAを形成してしまった。この感覚を共有できる人とだけ友達になりたい。小学生時代、放課後に女子も男子も一緒になって教室で訳も分からずAvril Lavigneの『Girlfriend』を流してはしゃぎ狂った日のことを今でも覚えているが、友達がいる空間にエレキギターが鳴るとそれだけで楽しくて嬉しくて、涙が出そうになる。

音を掻き鳴らす、音が集まる、音を作るという好意は尊い。音がするということは居るということだ。青春そのものだ。今も昔も猫も杓子も、バンドという共同体に惹かれてならないのは、そこにかつて自分にもあった青春性を見つけるからだ。

校長の一存により文化部の活動場所を地下に押し込めるスポーツ至上主義高校が舞台だが、こんなものは全ての高校の縮図だ。主語がデカいとは言わせない。学生スポーツを過剰に持ち上げる現代へのカウンター。『ハイスクール・ミュージカル』への自己批判。主役である「音楽」がそもそも市民権を得ている芸術ジャンルなのでそこに甘えている部分はあるが、ディズニーがはっきりこれを(体(テイ)だとしても)やったことには意味がある。
「表現」についての解釈もさらっと抜かりない。自己表現とは反権力だ。それ故に権力に「検閲」され揉み消される。これが中盤の大きなドラマになっている。意地悪な校長め!と無邪気に観ていたキッズ達も、10年後には権力と表現の入門書だったのかと分かるようになる。

表現は間違いなく大衆を動かす、というディズニーらしい大味な帰着も自分は受け入れられた。音楽じゃ世界は変えられない、とプレイヤー側が発信するのはまあまあな地獄だと常々思っているが今作で確信した。音楽を聴けば聴いた人間の内情に微細ながら変化が生まれる。人が変わるということは世界が変わるということだ。

他の地下部活に光は当たらないのかとか、あの彼に救済は無く意地悪で終わりなのかとか、校長のワンマン独裁経営は不問かよとか、恋愛はシスヘテロ中心価値観かとか、ステージで緊張する設定はそれだけかよとか、言いたいこともあるがそこを強調しても意味は無いので追求はしない。
家族愛にまとまる感もあるが、あれはむしろ各々が己の確執と戦った結果論の家族愛なので、血縁主義よりご褒美的ハッピーエンドの側面を見た。

今作のボトムを完璧に支える『Determinate』というアンセムがあるが、作中バンドの代表曲が名曲な映画はいつだって名作だ。自分だってその場に居合わせたかったのに、と思った時点でその映画の圧勝。レモネード・マウス、ずるすぎる。レモネードが飲みたい。

その他、
○『シング・ストリート ~』の『Drive It Like You Stole It』と『ラ・ラ・ランド』の『Start a Fire』(皮肉にも)がパッと思いつく。
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