湯呑

ザ・レッド・チャペルの湯呑のレビュー・感想・評価

ザ・レッド・チャペル(2009年製作の映画)
4.6
マッツ・ブリュガーは、ジャーナリストとして活動する傍ら過激な内容のドキュメンタリー映画を撮り続けている、デンマークのマイケル・ムーアとでも言うべき人物だ。その最新作である『THE MOLE(ザ・モール)』と、2010年のデビュー作『ザ・レッド・チャペル』が現在公開中である。この2作はいずれも北朝鮮への潜入取材を試みたドキュメンタリーであり、内容的にも深い繋がりがあるのでまとめて論じてみたい。
両作でブリュガーのとった手法は概ね同じである。まずは偽の経歴を持った人物を用意し、北朝鮮の高官にうま味のある話を持ち掛ける。首尾よく信用を勝ち得たら北朝鮮へ入国し、その立場を利用して堂々とカメラで撮影を行う。何かアクシデントが起きた場合は適当に嘘をついてごまかせばいい。要するに、ブリュガーの計画は行き当たりばったりで「電波少年」とそれほど変わらない。にもかかわらず、北朝鮮はブリュガーの嘘に二度も引っ掛かってしまうのである。
『ザ・レッド・チャペル』の顛末はこうだ。北朝鮮が文化交流の目的で他国からのアーティストを招待していたのを知ったブリュガーは、ジェイコブとサイモンという青年を雇い、即席のコメディアンに仕立て上げる。取柄と言えばギターを弾けるぐらいで、ずぶの素人に過ぎない2人に眼を付けたのにはブリュガーなりの理由があった。ひとつは、彼らが朝鮮系デンマーク人だった事である。海外で活躍するコメディアンが故郷に凱旋するにあたり、南ではなく北を選んだ事は北朝鮮の自尊心を満足させるだろう。更にもうひとつ、ジェイコブが脳性マヒを患っていた点だ。当時、北朝鮮には優生思想に基づく障害者への差別的政策が残っていると伝えられており、障害を持って生まれた子は殺されるという噂すらあった。脳性マヒであるジェイコブを温かく迎え入れる模様がメディアで伝えられれば、その噂を打ち消す格好のプロパガンダとなるに違いない。要するに、ブリュガーはジェイコブとサイモンの出自を餌に罠を掛けた訳だ。彼の目論見通り、北朝鮮はこの餌に食い付き、ブリュガーとジェイコブ、サイモンの3人は首尾よく北朝鮮への入国に成功する。
ただ、ひとつだけ懸念材料があった。ジェイコブとサイモンの芸のクオリティがめちゃくちゃ低かった事だ。一応、事前にプロのコメディアンに手ほどきは受けたもののいかんせん時間が足りず、とても人前に出せるものではない。忘年会の出し物としても怒られるレベルなのだ。北朝鮮の高官たちは大いに慌てる。この訳の分からない芸(?)をピョンヤンの国立劇場で披露しなければならないのだ。窮した彼らは、ブリュガーたちにおずおずと内容の修正を申し出る…この辺りのやり取りは非常に面白い。誰が見たってジェイコブとサイモンの芸はでたらめやっているだけなのに、デンマークの文化について無知な北朝鮮の高官たちはそれを文化的風土の違いだと思い込み、演者のプライドを傷つけない様に懸命に気を配っている。要するに、彼らは独裁体制下で洗脳教育を受けた権力の操り人形であると共に、他人に気を配る心を持ち合わせたひとりの人間でもあるのだ(もちろん、最終的に彼らはジェイコブたちのコントを遠慮なく作り替え、朝鮮半島統一のスローガンまで叫ばせるに至るのだが、それは彼らにとって素晴らしい芸術が、北朝鮮の独裁体制を賛美するものに限られていて、それ以外の価値観を持っていないからだ)。
従って、ブリュガーが仕掛けた壮大な「ドッキリ」に見事に引っ掛かる北朝鮮の人々に対して、ジェイコブが同情し疚しさを覚えるのも無理はない。特に、彼らの通訳として派遣された朴さんという女性は、ジェイコブを息子の様に可愛がり熱心に面倒を診る。その献身ぶりにブリュガーは薄気味悪さすら覚え、ジェイコブも息苦しさを感じるのだが、一体なぜ彼女がここまでジェイコブを可愛がったのか、最後までその理由は明かされない。先ほど述べた通り、脳性マヒの男に優しく接する姿を見せる事が国益にかなうと考えたのかもしれない。朴さんが上司からその様な指示を与えられていた可能性は高いだろう。しかし、計算ずくの嘘から始まった関係が、図らずも心と心の交流へと繋がっていく瞬間が人間にはある。だからこそ、ジェイコブは自らの嘘に耐えきれなくなり、ブリュガーに「あなたに良心の呵責はないのか」と迫るのだ。
しかし、ブリュガーはジェイコブの難詰に対し「良心の呵責などない」と一蹴する。北朝鮮は多くの国民を強制収容所送りにし、「苦難の行軍」と呼ばれる大飢饉で何十万、何百万人という国民を餓死させた殺人装置だ。従って、自分たちが同情する必要などない、と主張するのだ。要するに、ブリュガーは眼の前にいる人間の良心を疑い、己のイデオロギーだけを信じて行動している。従って、笑顔を浮かべて彼らを歓待する北朝鮮の少女たちの態度を全て演技だと断じてやまない。もちろん、そうなのだとは思う。北朝鮮の人々の貼りついた様な笑顔、一糸乱れぬ団体行動、金親子を称える言葉と流される涙に、私たちもまた薄気味悪さを感じる。生まれながらに自由意志を奪われ、権力の望む通り演じる事を強要された人々の、余りにも哀しい芝居。しかし、その奥底に密かに湛えられた生々しい感情がふとした瞬間に迸り、やがて溢れ出る。ジェイコブはそれを無視できず、ブリュガーは自らの使命の為に黙殺した。もちろん、これはどちらが正しい、という話ではない。しかし、この2人の立場の違いがラストシーンでの「決別」を準備する事になったのは間違いないだろう。ブリュガーにとって、ジェイコブはあまりにも人間的であり過ぎたのだ。彼の目的にかなう刺客が誕生するには、およそ10年後に作られる『THE MOLE(ザ・モール)』まで待たねばならない(続く)。