90年代に大野一雄の舞踏を観る機会が数回あった。宇宙の屑のような小さな惑星の上で扉を開けたすぐそこに置かれた小さな花を拾う、いとけなき小さきものを包むように、そういう踊りが透けて見えた気がした。彼の体は素晴らしく頑丈で、二度の徴兵も経験し、間違いなく生活と共に作られたがっしりした体だった。本作では普段着で踊る自宅の大野一雄が映されるシーンがある。その後ろの台所でボウルを持って菜箸で何かかき混ぜる妻がいる。何でもないことのように大野一雄を見ながら。そういう生活。103歳で亡くなるまで、自分の脚で立てなくなっても踊る大野一雄の体はいつも「いま」の体だった。
『書かれた顔』を観たときには気づかなかったんだけど、青い晴海埠頭で踊る大野一雄の手に海鳥がとまったように見える瞬間がある。