Satoshi

ハンナ・アーレントのSatoshiのネタバレレビュー・内容・結末

ハンナ・アーレント(2012年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

最近流行の哲学者ハンナアーレントの第二次世界大戦後を描く。
ミルグラムの『アイヒマン実験』に続く伝記哲学ストーリー。

残虐の限りを尽くしたアドルフアイヒマンの戦争裁判で,小役人風な何とも予想外な凡人姿を見たアーレントは“凡庸な悪”をそこに見る。
そして,古代ギリシアから思想家が行ってきた“思考”をしないことこそ,凡庸な悪の根源なのだ,と説く。


この作品では,「ユダヤ人は殺されたのだから!それでも非難するのか!?」という批判にもあるように,アーレントは哲学者の典型的な嫌悪感を誘発する形で描写される。

罰には,三つの機能がある。
一つは,“感情的な回復”。二つ目は,“犯罪の抑止”。三つ目は,“意思の完徹”。これら三つは整合しない,つまり,同時には行えない。

アーレントのような指摘がなかったのならば,今後何か戦争を起こさないような変化を与えたられたのだろうか。
アーレントを非難し,その場のカタルシスを求めた人は,本当の意味で今後このような悲惨な戦争を起こさないように努めていたと言えるのだろうか。または,もし自分がアイヒマンの立場であれば,批判するように惨事を止められたのだろうか。

しかし,戦争裁判中の今,“感情的な回復”を後回しにして,凡庸な悪について説くべきなのか。そういった批判は当たるはずである。

アーレントは,ユダヤ人や戦争被害者への共感や慰めといった感情の回復よりも,今回の惨事の因果的な解決を優先させ,ある意味で正義を貫いたのだろう。
Satoshi

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