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42〜世界を変えた男〜のボブおじさんのレビュー・感想・評価

42〜世界を変えた男〜(2013年製作の映画)
4.2
アメリカのメジャーリーグでは本日4月15日は〝ジャッキー・ロビンソンデー〟。20世紀以降に米球界のカラー・バリアを破り、人種差別の撤廃に大きく貢献したジャッキー・ロビンソンの功績を称え、両チームの選手、コーチら全員が背番号「42」のユニフォームを着用して試合が行われる。
 
ロビンソンは近代メジャーリーグ初の黒人選手として、1947年4月15日にデビューした。10年間ドジャースでプレーし、新人王に輝き、49年には首位打者とMVPを獲得した。リーグ優勝を6度成し遂げワールドシリーズ優勝も経験した。ドジャースにロビンソンが加入して強くなったことで、その後、多くの黒人メジャーリーガーが誕生した。

 本作は、そんなロビンソンの半生をチャドウィック・ボーズマンの主演で描いた伝記映画だ。1946年、ブルックリン(現ロサンゼルス)・ドジャースのブランチ・リッキーGM(ハリソン・フォード)が、チームの戦力向上を図る目的で黒人選手に目を付けた。

当時のアメリカと言えば、今とは比べ物にならないくらい人種差別が根強く残っている時代だ、実際に入団とするとなれば、あらゆる方面から嫌がらせなどを受けるのは間違いない。もしこれに怒って暴力沙汰などを起こせば、黒人選手は二度とメジャーリーグでプレーする機会を失うだろう。リッキーは実力はもちろんのこと、卓越した忍耐力を持つ選手を探していた。

この2つの条件を備えていたのが、名門UCLAでフットボール、陸上競技でも活躍したアスリートで、かつ陸軍士官学校で優秀な成績を残すなど精神面の強さにも定評があったジャッキー・ロビンソンだったのである。

映画でも描かれているが入団交渉の際、リッキーはわざとロビンソンに罵詈雑言を浴びせ挑発した。ロビンソンが思わず〝やり返す勇気もない選手がお望みですか?〟と言うと、リッキーが〝いや、私が欲しいのはやり返さない勇気のある選手だ〟と答えたエピソードはあまりにも有名だ。

この作品は単にロビンソンの栄光を描いた映画ではない。〝やり返さない勇気〟とは攻撃してくる他者と同じレベルに墜ちることなく、本来闘うべき場所で自分の才能を発揮せよという意味だ。

1947年メジャーリーグの登録選手は400人、その内399人は白人だった。ロビンソンはただ1人の黒人選手。だがただの400分の1では無かった。

4月15日にロビンソンが初めてメジャーリーグの試合に出場するシーンは感動的だ。ハンガーに掛けられた背番号42のユニフォームを纏い、ロッカールームから暗く長い通路を通ってダグアウトへ向かう。ほんの一瞬のカットなのだが、長い間、日陰の存在であった〝ニグロリーグ〟から長いトンネルを抜け出し陽の当たるメジャーリーグへとたどり着いたことを象徴するシーンでもあった😊

ロビンソンの野球に取り組む姿勢はやがてチームに浸透してチームメイトも徐々に彼を認めていく。映画の中であるチームメイトが冗談で言う〝明日は皆んなで42をつけようか、そうすりゃ誰だ誰だかかわからんよ〟😊

ロビンソンのメジャーデビュー50周年となる1997年4月15日、ロビンソンの着用していた背番号「42」は米球界全体で永久欠番となった。2009年以降は4月15日にメジャーリーグの全選手が42のユニフォームを着て試合をする。

近代メジャーリーグ誕生から120年。全球団共通の永久欠番は、いまだこの「42」だけである。その栄誉は彼の実績に捧げられたものではない。その勇気に捧げられたものである😊


公開時に劇場で鑑賞した映画を動画配信にて再視聴。



〈余談ですが〉
彼が通したトンネルは、その後多くの日本人メジャーリーガーも通ることとなる。もしも彼がいなければ、野茂もイチローも大谷もメジャーリーガーになっていなかったかもしれない。

野茂やイチローや大谷は、くぐり抜けたトンネルの先での実績は、ジャッキー・ロビンソンより上かもしれない。だが、それは比べる次元ではない。彼はただ1人でトンネルを掘ったのだ。