はなればなれのマチルダ

ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンのはなればなれのマチルダのレビュー・感想・評価

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昨日、早稲田松竹にてシャンタル・アケルマン監督作『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080 コメルス湖畔通り23番地』(1975)を鑑賞してきました。
昨春から日本を巡回しているシャンタル・アケルマン映画祭にて私が鑑賞したのは、『私、君、彼、彼女』(1974)、『アンナの出会い』(1978)に続き本作が3作品目で、いずれの作品も早稲田松竹での鑑賞でした。



いよいよ念願のジャンヌ・ディエルマンだと意気込んで高田馬場に向かったところ、まさかまさかの満席。早稲田松竹の前には次回以降のチケット購入を待つお客さんたちが列をなしていました。今回の上映は、バーバラ・ローデン監督作の『WANDA』との2本立てでしたが、鑑賞予定の回が満席だったことにより、時間の都合上2作品は本日中に鑑賞できなくなってしまったのでこちらの作品は見送りました。『WANDA』は昨年の初夏にイメージフォーラムにて鑑賞済みだったのでどうにか諦めもついたものです。

しかし、心に響くものがありました。名画座に長蛇の列ができている光景は。私は以前、池袋の新文芸坐にて、「溝口健二2本立て+香川京子のオンライントークショー付き上映」に列をなす、おじい様・おばあ様方を目にしたことはありましたが、今回早稲田松竹に列をなしていたお客さんの7割ほどは私より少し年上の若者でした。

動画配信サブスクリプションが勃興する昨今、若者の映画館離れが、いや、映画離れが叫ばれる中でこの光景を目にすると、日本映画の未来に少し希望が見えた気がしました。映画の未来を案ずるシネフィルの先輩方に、見て頂きたかったものです。



さて、作品についてです。『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080 コメルス湖畔通り23番地』、なんとも長い長いタイトルですが、上映時間も長い長い200分。しかもアケルマンの作品となれば、と思い、相当の覚悟を決めて劇場へと向かった訳ですが、体感では100分ほど。夢中になって観ていたらあっという間に終わってしまいました。

若くして夫に先立たれたひとりの女性の日常を、日常の尺度で映し取った本作は、淡々としているとしばしば表現されますが、ジャンヌの動作ひとつひとつに視線を張り巡らせ、少し強調された環境音に耳を澄ませていたら、しっかりとした起伏のある作品に感じられました。しかしながら、ルーティーン化された彼女の日常から、徐々に秩序が失われていく様子を定点のカメラで執拗に追った映像を、200分間この目に捉えることへの苦しさも否めませんでした。

 英国映画教会(BIF)発行の「サイト&サウンド」誌が10年ごとに発表している“史上最高の映画トップ10”の2022年版では、ヒッチコックの『めまい』やウェルズの『市民ケーン』を抑え1位になった本作。これには世界が驚かされ、賛否を呼んだそうです。アケルマンはなんと25歳でこの作品をこの世に放り込んだ。その事実に驚嘆を覚えずにはいられません。

彼女が15歳の頃に観た『気狂いピエロ』に感銘を受け、映画の道を志したのは周知の事実ですが、アケルマン作品にはゴダールよりもブレッソンの遺伝子が私には感じられます。それはきっと、ショットの作り方に双方の狂気を感じているからのように思います。



性別によってアーカイブの価値を評価するのは好みませんが、やはり、バーバラ・ローデン然り、アニエス・ヴァルダ然り、この時代に活躍した女性映画作家の軌跡を、彼女たちが紡いだ偉大なる映画を、現代に生きる私たちは100年先も、200年先も記憶し続けないといけないと強く思いました。そして、私たちは彼女たちが切り開いた道を、いつまでも力強く、時にはレボリューショナイズしながら歩み続けないといけないと思いました。