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ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンのSPNminacoのレビュー・感想・評価

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アパートで淡々粛々と進行する生活。キッチンで料理し、寝室に男を迎え、バスルームで身体を洗い、ダイニングで息子と食事を共にして…ただ延々と続いていく光景で、壁のクリーム色、緑色、ブルーの服、髪と家具の褐色が絶妙の配色で目を引く。フィックスで捉えたジャンヌの手慣れた動きは淀みないリズムを刻みつつ、情報量が多い。(ちなみにあのキッチンの色合いが『シックス・センス』に通じる気がする)
面白いのは、ジャンヌが部屋から部屋へ移動し、場面と作業が移行するその切り替えの瞬間で暗転するショット。今観ると、これがまるでビデオゲームを思わせるのだ。扉を開けると次にどこにいるかわからない、でも一つずつしか開かない。なので時系列に沿っていても、事件が起きる訳でなくても、緊張感が続く。ジャンヌは次にどこで何をするのかと。
部屋に入ってくるのは男と子守に預かった赤ん坊(性別不明)だけだが、彼女が家の外に出かけたり、他人との会話もある。自らの人生を語ることもある。選択肢などない戦後に結婚し死別し、一人息子を育ててきた女性のありふれた人生。でも「ジャンヌ・ディエルマン、ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」という特定の点を見据えることに意味が生じ、それ以外の大勢もそこに存在するように思われる。スリリングな緊張感は地続きだ。
日常の淀みない動きはやがてジワジワと変調していく。返事が思い浮かばない手紙、コーヒーとミルク、同じものが見つからないボタン。乱れた前髪、泣き止まない赤子、動かない虚無、男の身体の重み。長い間そこで煮詰まった疲労感や、嫌悪感、閉塞感が余白に充満する。機能的な折り畳みソファベッドで寝る息子にとって家は寝食のためにあるのだが、ジャンヌには違う。帰宅したジャンヌを運ぶ狭いエレベーターは檻のようだ。終わりなき家事労働、出入りする男に与えるだけの日々。お金は陶器の中に、彼女の衝動は鏡の中にだけ見える。
普通の家事を普通に見せる演技もすごいと思ったが、非常に殺伐とした空間と時間を映した撮影が見事だった。夜の食卓に反射するネオンライト。廊下やエレベーターを捉えた一点透視構図の遠近感(なんと奥深く遠くに見えることか)。ジャガイモの皮むきや肉をこねる手つきが何だかエロティック。
この長さでこの統一感が持続してることで、やはり映画は一種のロールプレイングゲームに感じられるのだった。僅かな狂いでゲームオーバーしてしまうほど、女の人生は難易度が高い。
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