あなぐらむ

恋人たちは濡れたのあなぐらむのレビュー・感想・評価

恋人たちは濡れた(1973年製作の映画)
4.2
神代辰巳の映画を「軟体生物的」と評したのは寺脇研だが、それは姫田真左久の縦横に動き続ける撮影によるものだ。
何者でもない者でいようとする男のさすらいの果て。こんにちわ、さようならを唄う歌謡曲が出会いと別れを強調する。
哀れな女、絵沢萌子、飄々とした中川梨絵、共に良い。

突然中川梨絵さんが仁義をきり始めるシーンは、芝居場があまりにもない事を不満に思った中川さんに、記録の白鳥あかねさんが即興で付け加えたシーンとか。あれがまたカッコいいんだよね。
それでいて、あのちょっと白けたダルな感じが彼女の持ち味。ご本人にシネマヴェーラでお会いした時に、エキセントリックで、かつサービス精神があって、あぁ女優さんだぁ、としみじみ思った。
本作の衣装は自前だそうだ。クマさんが、自分に無いアイデアが役者から出ると嫉妬した、っていう話もおかしかった。

神代辰巳映画は音楽映画である。ヒット歌謡がキャラクターの心情を見事に表し、モノローグが映画のテンポを作る。
「こんにちは、こんにちは」と「さよーならさよなーら」が出会いと別れしかない人生を燻りだすように、映画はまた音楽で時代を、人を語る。
克(大江徹)が無人の映画館(成人館)で「お客様は神様です。お客様あっての三波です」って頭を下げるとこっていうのは、神代流のきっついジョークなんだろうか。あそこ好きなんだよね。というか、あの作品の克ってキャラが好き。あれは「渡り鳥」、この映画は神代版の何も活躍しない「渡り鳥」なんだ。師匠(斎藤武市)へのご挨拶。神代映画は海辺、砂浜、鴎だ。

知り合いの女優さんが昔、「赫い髪の女」の脚本を読んで惚れ込み、新文芸坐で見たそうなんだが、喜ばしい事に面白かったのは同時上映の「恋人たちは濡れた」の方だった、と伝えてきた。編集の鈴木晄さんはよく、「壊してくれ」と神代さんに言われたという。出来上がると「お話」になっちゃうからだそうだ。脚本と映画の違い、化学変化は人の心にも起こる。だから映画は面白い。