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渋川伴五郎のニューランドのレビュー・感想・評価

渋川伴五郎(1922年製作の映画)
2.8
✔『渋川伴五郎 霧島山蜘蛛退治の場』(2.8p)及び『江戸の花和尚 人斬り数え唄(『ちゃんばら手帖』改題)』(2.9p)
※『紅葉狩』(3.6p)/『鳰の浮巣』(3.4p)
///『中村鴈治郎 舞台の面影』の原版や新出の·林又一郎コレクション〜劇場公演主体部分 (3.2p)/同〜初代中村鴈治郎後援会「林会」のホームムービー (3.2p)/同〜初代中村鴈治郎葬儀の記録(3.1p)▶️▶️

(商業)映画はスターのもの、と言われるけれど、スターは時代が要請したもので、そこを生きていないと、どうにも馴染みになれないことも多い。
 最初の映画大スターと言われてるのか、尾上松之助も縁遠い存在だ。映画初期の、旧態演劇や街頭見世物と分離していなくて、後に映画ならではとなる、スピードやスケールや立体強調法、或いは日常の細やかさが、まだ編み出されてなくて、前世紀の異物のように思えたりする。役者の見栄の切り方、他にも型への嵌りのまだるっこしさ、はちと辛く、そもそも女優のやるべき役をまだ女形がやっている、それらは全般的にかなり辛い。それに、数少ない保存されてるものは、状態が良くないのが多い。特に、マツダ映画社でいいプリントに逢う事は稀で、そういった事に関心がないのかな、と思う位で、何十年もマツダ映画社の催しには行っていない。しかし、時代は進歩·改善も呼び込んでる筈。今回の催しでは二本提供されてるが、確認してみる(やはり、一部分を除いては、鑑賞に耐え得るレベルのものではなかった)。
 この役者の数少ない長編残存作ということでも、観てみる。既に映画作法が一般に洗練·成熟してきて、スターのオーラにおんぶした作風ではなく、総合力·映画的な構造や語り口が濃くなってる。尽きない延々格闘や剣戟、怪物作り物や画面合成、等は残ってるも、角度·サイズをある程度やわらかく割って組立て、人間関係の因縁や因果もくどすぎるが張り巡らされ·また戻ってはきてる。川への飛び込みらの体技はあるが、松之助も一般的な主演の範囲を特別はみ出してはおらず、全体の一部としてあまりスタースターしていない。
 柔術の道場の御曹司が、不穏分子の高弟·道場破り狙う豪傑·鼻ぐすりで役人も結託が、田舎から来た親子·道場主の父·妹と許嫁、らに脅威をふるう(父は闇討ちに)を、防ぎ護り、敵を討つ話しで、色々邂逅の繋がりも面白い。
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 時代は下るが、ピークを過ぎた戦後のエンタツ·アチャコを映画で活かすのも難しい『~数え唄』。
 基本タッチは、殴られ(·何かを突き破り)倒れ伏すカットのズラし、走り出す時の弾みカットズラし、数人の場の切返し·90°変·寄ると退くの割と大きめ移動、あちこち走り回る図の押えの確かさ、等しっかりしたスタジオの語り口があるが、(舞台ではもう組んでないとはいえ、)人気全国区の2人を主演に迎えると、細かいところでリズムや筋立が滞ってしまう。
 ついカッとなって、お得意様の不良若旦那を殴り足を不具にしてしまった、鍛冶屋の娘との事を任された奉公人が、向こうの許しはあっても、対面上、親方から坊主になって10の大きな善行を約さる。成果でないうちに、あの若旦那と祝言直前の紙屋のむすめが、七人組の侍に拐われ、元こそ泥の相棒と組んでの、全ての起死回生·発見奪還へ。細かい切っ掛けや、脇の名優らが、大して活きていない。
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 ※してみると、今となっては当時のホームムービーの方に、まだ活力を感じるのは、今の世を挙げてのプライベート·フィルム発掘·収集のブーム?がはたらいてるのかもしれないが、鑑賞スタイルが変化すると当時の風俗を分かりやすく教えてくれるものでしかない、劇場用商業映画と違い、失われる事のない温もりが存在しているからだろう。19世紀末日本最古の日本映画、当時の菊五郎~團十郎の舞台を屋外に再現しての、格や果す役の心得伝わる『紅葉狩』、これも19世紀末の、舞台ではなく自然の林内で演じて深みや移動感の見事な、当時の鴈治郎の演目『鳰~』の後に、上映されたのは、初代鴈治郎の長男長三郎の、父や息子の林敏夫の舞台を、舞台の袖から近距離·普段有り得ないアングルで写し、カメラアングルも切り返したりしてるから複数日に亘って1演目を追いかけてる、不思議で貴重な存在·温もりを湛えたホームムービーであった。舞台だけでなく、後援会のフランクな空気や、鴈治郎の葬儀での、当時の演劇·映画界の顔の捉え残しもある。義子の後の長谷川一夫もよく出てくるが、歌舞伎に行った数なんてしれてるので、それ以外に一目でわかったのは、次男?の後の2代目くらいだったが、分かりやすい画面解説をする方が付いていて有難かった。それに館内は、この世界に通じた人が多いみたいです、リアクションが素晴らしかった。画面は暗かったり、甘いエッジのもあるが、客席からの退いた全図や花道の捉えが組み合わさってる所もあり、作品として見てもなかなかのもの。しっかり角度変もなされ、廻り舞台は、カメラワークの動感を味あわせてくれる。関西歌舞伎もこれ程盛況だったのだ。
 4K画質のスマホが普及した現代、勿論商業映画は、一攫千金や有名化への欲望で続いてくだろうが、本当の表現の最先端は、プライベート映像(作)に引き継がれる、所謂「カメラ万年筆」の時代がたぐり寄せられてるのかも知れない。
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