とうがらし

インターステラーのとうがらしのネタバレレビュー・内容・結末

インターステラー(2014年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

『「穏やかな夜に…」に隠された意味』

本作をもう何度観たか分からないが、ようやく分かったことがある。
ブランド教授とマン博士が、なぜ主人公のクーパー父娘を騙すのか。
人類存続を至上命題に掲げるはずの2人の科学者が、なぜ冷静沈着な態度で血迷って、人類存続の危機をもたらすジレンマに陥るのか。

下記のセリフから、クリストファー・ノーラン監督の真意が導き出される。

ブランド教授の口癖(ディラン・トマスの詩)
「穏やかな夜に身を任せてはいけない」

マン博士
「孤独の意味を知った」
「この計画をなぜロボットに任せなかったか分かるか? 機械は命令通りに動くだけだ。死の恐怖はプログラムできない。人間の生存本能はまさにインスピレーションの源だ」

謎を紐解く共通のキーワードは「〇〇に任せない」

地球を覆いつくそうとする砂。
人々は砂を避けて逃げる。
砂は、不安の象徴であり、死の恐怖であり、孤独を模している。
人々が逃げているのは、本当は砂でない。
孤独から逃げようとしている。
その先に待ち受けている未来は、人間の機械化。

シンギュラリティ(2045年問題)は、人工知能という機械が、人間の知能を越える特異点。
でも、実はその逆だと、私は考える。
機械が進化して人間に追い付くのではなく、人間が退化して命令通りに動く機械になろうとしている。
シンギュラリティとは、人間の機械化に拍車がかかって、後に引き返せなくなる危機的状況に達する時期が2045年頃に訪れるという、警告なのではないだろうか。

孤独は、人間が人間たりえる証。
自己や他者の死の恐怖に触れる時、人間は生きていることを実感する。
それが人間の生存本能であり、インスピレーションの源泉。
孤独に向き合えない人は、その人固有のインスピレーション(思考力や創造性)を放棄すると同義。
つまり、ノーラン監督は、壮大な物語を通じて、実にシンプルなことを伝えようとしている。

「穏やかな夜に身を任せてはいけない」
⇒「心の平安を求めて、機械に身を任せてはならない」
⇒「孤独から逃げるな。孤独に身を置いて乗り越えろ」
⇒メメント・モリ(死を忘れるな)

Wikiからの引用で申し訳ないが、メメント・モリの解説には、こうも記されている。
「生を豊かにするはずの科学技術が、かえって人間の生を脅かすという自己矛盾的事態を招来し、現代人をニヒリズムに追い込んだ」と。
ブランド教授とマン博士が、クーパー父娘を騙し、ジレンマに陥った理由はそこだった。

これにより、監督がクーパーをブラックホールへ突入させる意図も分かってくる。
ブラックホール。
何も見えない不安。
彼が孤独に身を置いて、初めて見えてくる、暗闇の中の光。

砂(孤独)が部屋に舞い、人類存続に光が差す。
本が置かれた本棚から、それは父の愛によって、娘にもたらされる。
なぜ、本なのか?
本とは、時間と空間(時空)を超越して伝わる人類の英知。
誰かと話しながら、熟読することは不可能。
本を本当に理解するためには、自分自身を孤独に置き、自分自身で読み、自分自身で考えて、初めて可能になるものだから。


予告編
https://www.youtube.com/watch?v=isoTSzwBMKE
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