ほんちゃん

インターステラーのほんちゃんのレビュー・感想・評価

インターステラー(2014年製作の映画)
4.3
物理学に関して忠実に再現された映像技術(理論物理学者のキップゾーンが協力)とクリストファー・ノーラン監督の創造性が詰ったSF作品。映像技術に関しては、“時空間の歪みを映像化するためのプログラム”を使用され制作。宇宙に対する関心を持てるような作品でもあった。
植物に対する“疫病”が流行、食糧難に陥り気候変動も相まって人類存続の危機にある世界が舞台となっている。そこで、宇宙開発にお金をかけることが出来ないため“エンジニア”の地位が危ぶまれている状況。元エンジニアのクーパーは、娘のマーフィーに宇宙の素晴らしさを伝え、マーフィーもエンジニアとしてのクーパーを尊敬していた。そのような関係性の中、物語の序盤、本が落ちたり家の物に異変(重力の異変)が起きていることにマーフィーが気づいて物語が展開する。起きている現象いわゆる“その謎”が気になり、物語の世界観に入り込めた。
結果、人類存続のためクーパーは、宇宙に出発するのだが、娘のマーフィーと喧嘩別れになってしまう。クーパーの出発の際、調査にマーフィーが隠れて付いてきていないか確認するところや「帰ってくる頃には、お前と同じ年齢かもな」と伝えるシーンが切なくて感動した。些細な所ではあるが、演出の上手さ垣間見えた瞬間であった。また、一緒に帰った時に“時間を一緒に確認しよう”と時計を渡すところが父親として、または、エンジニアとしてマーフィーに意思表示するマシュー・マコノヒーが格好良かった。男として憧れる“父親像”であった。
宇宙に出発後、“流れ過ぎる時間”の恐怖感や孤独感が半端ない。クーパーやアメリア・ブランド等の乗組員の“自身の家族や友人の将来を選択するのか、人類の存続を選択するのか”と問われながら、宇宙で起きる事柄を経験して最前の策を選択する姿が“何とも歯がゆい”感覚だった。
クーパーの家族を助けたい気持ちやアメリアの恋人を探したい気持ち、マン博士の助かりたい気持ち(プランBでしか希望のない状況で地球に帰りたいクーパーに対してプランBを実行したいマン博士)が共感できるからこそ、“流れ過ぎる時間”の体感が怖くなる。(ブランド博士の「人は自らにして人類という種を救おうとしない」という科学者としての視点も分からなくもない。)
ミラーの星から脱出した際、23年分のビデオメッセージを見ているシーンは、より一層、“時間”の障壁が大きく宇宙の恐怖感が味わえた。また、大きく子どもの成長が見られない“もどかしさ”やマーフィーとの約束が守れず苦悩するクーパーに感情移入してしまう。“どうにも悲しい”状況だった。
結果、膨大な時間を掛けながらブラックホール内で重力を用いて時空間を超えて過去の自分とマーフィーに情報を伝えるシーンは、「STAY(行くな)」とモールス信号で意思表示しながら、人類存続のためマーフィーを信じてブラックホールの特異点の情報を伝えた(人類存続を選択した)クーパーに賞賛したい。結果、マーフィーに情報が伝わり、アメリアの言葉である「愛は、時間と空間を超えることができる」に繋がったのだと感じた。
物理学と宇宙の映像の構成にノーラン監督の物語を加えた1つの“芸術作品”として鑑賞できた。構成から物語(宇宙にいる人間の心情)が上手く描かれており、多角面から楽しめる作品で高評価。
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