明石です

子宮に沈めるの明石ですのレビュー・感想・評価

子宮に沈める(2013年製作の映画)
3.8
シングルマザーが育児に病み、ネグレクトの果てに男を作って失踪。残された3歳の少女と、1歳半の乳児が餓死していくまでを収めた半記録フィルム。2010年に起きた「大阪二児餓死事件」をドキュメンタリータッチで綴った作品。これはエゲツナイ、、けど事実を調べたら、映画の10倍くらいエゲツなくてたまげた。

実際の事件は映画とはやや経緯が異なり、当時23歳だった母親は、(自身の浮気が原因で)夫と離婚すると、ファッションヘルスに勤め、稼いだお金でホストにハマり、家に帰るのは二人の子供にコンビニ弁当を渡す時だけだったそう。母親が失踪したあと、乳児たちは調味料で飢えをしのぎ、冷蔵庫の霜まで舐め、果ては、母親が放置していたゴミから食べカスのついた容器を拾い出し、舐めていたとか。姉の方はそれが原因で食中毒を起こして死亡。弟は、その毒素が含まれた姉の糞を食べたことで息を引き取ったとのこと。

結果から見ればどちらも救いがないけど、現物の方がさらにエグいですね。映画内の母親には、母としての愛情がもともと具わっていて、それが少しずつ薄れていった結果の凶行として描かれる。是枝監督の『誰も知らない』と少し似てるかも。とはいえ、本作はどこにも救いがない。子供が邪魔だけど、自分で殺す勇気はないから餓死させようとする→一人は成功→残った方がやっぱり邪魔なので、みずから風呂に沈めて殺害、という流れ。しかも最後には、三人目を孕っていることが発覚する。コワスギ!!なにしろ子供たちはほとんど乳児の年齢で、自力で生きていくすべを知るはるか前の年頃だし、缶詰の開け方も、ドアを開ければ外の世界があることも知らない(そういえば劇中で、家の外が映ることは最後まで一度もなかった)。

本作を観ると、ネグレクトは必ずしも愛の欠如ゆえに起こるものでないと思わされる。社会が云々とか、そういうこれ見よがしなことを書くつもりは毛頭なく、たとえばこれ、母親が意図的に失踪せずとも、家の中で意識不明の重体に陥るとか、不慮の事故でも同じことが起こり得ると考えるとゾッとした。とはいえ、現実の事件に則して考えれば、単純に、愛もクソもないがゆえのネグレクトだというのが実情と思える。現実はいつも映画より厳しい。何ヶ月かぶりに帰宅した母親は、子供たちが餓死しているのを知ってもそのまま放置し、知人男性と海に行ってはラブホテルで情事に耽り、ブブゼラを吹いてW杯を応援していたとのこと。人類も大昔は(そして現在もアマゾンの「未開の」部族の間では)赤ん坊は母親の所有物なので何をしようが構わない(なぜなら所有物だから)という考えが一般的だったみたいですが、本作を観ていると、母親の心理としてはまさにそんな感じなんだろうなと思った。もともと自分の一部みたいなものだから、死んでもとくに何も思わないのかなと。とりわけ本作で描かれるような「法律」に関心のない母親にとっては。

映画に話を戻すと、カメラを固定して撮影し、ブツ切りカットも厭わない、物語性を意図的に排したような淡々とした撮り方が目新しいといえば目新しい。劇映画として面白いかというと難しいけど、記録フィルムとしては興味深い。たとえば赤ん坊が泣いてるのを止めずに流し続け、鑑賞者のイライラを誘ったりと、ドキュメンタリー調の演出がそれなりに成功してる感じ。一時間くらい観ていたら、ひょっとすると、子役にも演技指導なんかしてなくて、最初から定点カメラの記録映像だったのではと思てくるし、、そして、いつの間にかベイビーが泣かなくなってる!!コワイ。

母親が子供を置いて去ってく最後の日に、「ご飯何食べたい?」「オムライスー!」「え〜、炒飯でいい?」と、中途半端に愛情をまじえたやり取りをするシーンが滅茶苦茶リアル。残された子供が、生まれて間もない乳児と粉ミルクを取り合い、乳児の死後、マヨネーズの容器に水を入れて飲む描写もゾッとするほど現実的。こういうリアリズムの極致みたいな映画を見ると、一般に親として「当たり前」とされてることを「当たり前」にやってる世の親(とくにシングルマザー)たちは偉いなあ、としみじみ思わされる。そしてラスト。タイトルの『子宮に沈める』とはそういう意味だったのか、、何から何まで恐ろしすぎたぜ。
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