ちぃ

テンプル・グランディン~自閉症とともにのちぃのネタバレレビュー・内容・結末

4.2

このレビューはネタバレを含みます

★4.2 1947年生まれのテンプル。テンプルは幼い頃自閉症と診断され、4歳まで話すことができなかった。しかし、母は懸命に言葉を教え、医師には施設に入るようすすめられるがテンプルを普通の学校に通わせる。学校では変わり者扱いされていたが、それでもテンプルは学校ではいい指導者に出会い科学に目覚め、叔母の農場で過ごしたことで家畜(牛)に興味を持つ。家畜として育てられ、最後には食肉になる運命の牛。牛は肥育場に付くと流れ作業のように害虫駆除のための薬浴槽に入れられるが、人間の営利目的の為に設計されたその装置では、何頭もの牛がおぼれ死ぬという現状だった。食肉にはなるが、最期まで彼らの命を尊重することに趣きを置き、牛の習性にのっとって牛を傷つけることのない薬浴槽をテンプルは設計した。今までにない装置は作るのにコストは嵩むが、牛がおとなしく一連の動作を行うことから、人件費の削減ができると彼女は証明した。
この間にも彼女は大学、大学院に進学、修士号と博士号を取り、牛について学んだことを生かし家畜専門の新聞のライターにもなっていた。
それから時が経ち1981年、彼女は自閉症全国大会に足を運ぶ。まだまだ詳しいことがわからない自閉症だが、彼女が歩んできた道のりは、自閉症の子供をもつ家族にとって、貴重な励みになる体験としてテンプルはスピーチするのであった。

自閉症のテンプルの育て方に自信が持てず、模索しながら育ててきた彼女の母親。口には出さないが、母に感謝をし生きてきたことをテンプルがスピーチで披露した場面に感動した。
テンプルの「私は人と違うけど劣っていない。才能がある。」という言葉が印象的。
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