くるみ

ロボコップのくるみのネタバレレビュー・内容・結末

ロボコップ(2014年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

2014/03/19
元版の復習鑑賞で「名作だからリメイク版は厳しそう」て書きましたけど、全面撤回します!私が間違ってた。
今この時代だからこそできる背景とアプローチ、そしてロボットと融合した人間ドラマが描けていて、見ている最中うなずきまくりでした。

どこまで行ったら、我々は彼を人間だと見なせなくなっていくのか。
そういう倫理観をノートン博士と一緒に試されていく話でした。
冒頭の公聴会で、ドレイファス議員は「感情があること」が人間の定義だとしています。逆に言うなら、感情があればどういう状態でも人間だという考え方ですね。
私は、博士がロボコップを作った理由を「死にそうな人を自分の技術で救いたいから」と読み取りました。自分の状態を把握したマーフィーが「死にたい」と言ったときも、仕事以上に医者の倫理観から一度救った人間を殺したくないと思ったんじゃないかな。
だから、家族への思い入れを掻き立てて説得しました。
もうこの時点で主客転倒してるわけなんですよ。機械である自分を肯定するために感情を利用する。
その後も、戦闘モードの誤認識、ドーパミンの低下と、彼の機械化は進んでいきます。反対に、犯罪への対処は完璧になっていきます。
これ、マーフィーの家族やノートン博士目線だと可哀想に見えますが、一般市民からしたら願ったり叶ったりなんですよね。犯罪は確実に減ってるんですから。
そしてついに、家族への思いがプログラムを上回ります。ここ、ちょっと記憶が曖昧なんですが、爆発シーンや子供の表情を見ても脳の数値は変わらなかったはず。だから、彼は脳科学的には非常に冷静に現状を判断している、となるのです。
それは本当に感情なのでしょうか?
人間の感情や倫理観は、非常に危うくて扱いにくい。だから、銃や薬を売ったり、警察内で汚職をしたり、金のために世論を操作してロボットを導入しようとしたり、人を殺せたりするわけです。
そのかわり、記憶力にも情報処理能力にも限界があって、肉体も脆い。倫理観を越えたことをやり続けると、精神も病んでいきます。
感情が行き過ぎたときにストップを掛けられる機能がついているわけです。

最後、ロボコップはとうとう、プログラムを凌駕した判断を下します。合法かどうかは少し曖昧にされてました。
記憶や情報処理能力が完璧で、肉体が強く、なおかつ感情的な生物です。
それは本当に、治安を任せていい存在でしょうか。

製作側がここまで考えて作ったかどうかは微妙です。でも、私にはとても機械が人間らしい感情を取り戻せて、家族と再会できて良かったね、て話には見えませんでした。
もし、こういう意図を多分に含んでいるなら、続編もぜひ作って欲しい。
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