松瀬研祐

ほとりの朔子の松瀬研祐のネタバレレビュー・内容・結末

ほとりの朔子(2013年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

とある長閑な海沿いの町を訪れた浪人生の少女の七日間くらいの話。特定の日付、曜日がクレジットされ、3.11後の、おそらく1年後の夏の話として描かれている。福島の原発事故のことを扱ってはいるけれど、なんとなく、それだけではなく、強く「いま、ここ」という時代設定への拘りを感じる。

あらゆる登場人物は表面とは別にそれぞれが抱える欲望があり、それがむき出しに現れたり、隠しながらもこぼれるように見えたりする。浪人生の少女と、不登校の高校生の少年。敢えて、少女と少年と呼ぶのは、彼らが大人とも子供ともとれる微妙な年代ながらも、セレクトされる衣装はやけに子供っぽく、登場する大人たちの姿を見る立場として、映画の中で役割を背負っているように思うから。

ただ、子供の立場である主人公の朔子と、高校生の亀田も、子供側ではありながら、明らかに子供として大人の行動に踏み込めない亀田に対し、朔子は大人のような振る舞い(喫茶店で亀田のデートを優先させる。家出の終わり際、亀田の頬にキスをする)を行う。が、いずれにしても、二人は様々な大人たちの振る舞いに触れ、家出を決意するが、結局のところ、あっさりとそれぞれの戻るべき場所に戻る。波打ち際、ギリギリで、彼らはまだ大人になり切れずにその場に留まる。が、もちろん、この7日間の出来事は、彼女、彼の大人へ向かう不可逆的な進行に、決定的でないにしても大きな何かを与えている。

音楽は、ピアノやCDから流れる曲、彼らが口ずさむ歌として流れる以外で、唯一、家出をする二人が入った喫茶店で披露されるパフォーマーのダンスの場面で、ダンスの音楽から乗り替わりで流れる音楽が出現する。その時、それを観る一人の大人の、黙したまま流れる涙は、この作品の淡々と進む嫌気がさすような大人たちの行動の中で、唯一、美しい涙としてあるように思えて、どこからともなく流れる音楽が、その美しさを際立たせてくれるように思う。
松瀬研祐

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