ほとりの朔子のネタバレレビュー・内容・結末

「ほとりの朔子」に投稿されたネタバレ・内容・結末

赤いワンピースの朔子が河原に足を踏み入れる。瞬間、彼女の足を中心に水面に波紋が広がる。
このカットだけで、すっかりこの映画の虜に。
主役二人の瑞々しい演技がとにかく自然体で素晴らしいです。
全編にわたって印象的深いシーンややりとりが沢山ありました。誕生日会とか、執拗に映されるふみちゃんの尻とか。
表向きは淡々とした雰囲気ですが、水面下では様々な感情や駆け引きが渦巻いているドラマチックな作品です。
人物それぞれの背景にわりと複雑な事情があるようで、それを台詞で説明しすぎるかと思えば、
重要な部分をさらりおわす程度にとどめていたりと、観る者に揺さぶりをかけてくるようないびつさに独特の味わいを感じました。
なんだかなぁ。深田晃司さんの世界観、あまり合わないのかも。いや、世界観はおもしろい。ずっと見てられる。でもなんか辛気臭いというか。ひねくれてるというか。。気持ち良くないんだよなぁ。。
二階堂ふみちゃんの良さもあまりわからず。。
太賀くんのモノローグは抜群でした。
「どこ行くの?」
「家出する。」
「どこへ?」
「決めてない。
 暇なら一緒に来ない?」
「それって、駆け落ち?」
「………駆け落ちって?」
「ああ、いいや。
 まあいいよ、付き合ってあげる。」

このシーンが特にすき。
 大学受験に失敗した主人公が叔母の家の夏休みにやってきて大人たちの世界を見ていって、揺れていく話。

 主人公の朔子が電車に揺られて叔母の家にやってくるところから始まり、叔母の家で生活していくうちに、登場人物が現れては会話し現れて会話していく。それをカメラが捉えてるだけで、役者さんの力で見せてくれるけど、個人的には垂れ流しに思えて退屈でした。
 大学講師の浮気やらビジネスホテルだけど実はラブホテルを経営している叔母の知人とその娘、買春するオヤジさん。などが出ては消え出ては消え。

 主人公の朔子が大学を落ちてどう思っているのか? この登場人物たちと出会って、何を思いどう行動したいのか? とかどうしたらいいのかわからず戸惑う映画でした。主人公が関係ないかのように外野から傍観しているだけでは面白くもなんともないのではないかと感じてしまいました。
 原発反対をやたらと絡ませてくるのも本筋に関係あるのか、俳優さんに任せきりに見えてしまって苦手な作風だったので、もっと勉強してから見直したいと思いました。
私たちは、意味まみれの病を抱えて生きている。
私たちと言ったら語弊があるのなら、言い直す。
私は、意味まみれの病を抱えて生きている。
何かに意味づけをしたくなったり、ない知恵を絞り、その意味は何なのかを考えたくなる。


この映画は、そんな意味まみれの病のなかで生きている私の心に、ポツンと石を投げ込んでくるような映画である。石を投げ込まれたことによって、心の中の波紋がどんどん広がっていく。あとからあとから、いろんな解釈・いろんな意味づけをしたくなる。まんまと監督の術にハマってしまったようなものである。悔しい。


映画の中で、かき氷のシロップは、実はみんな同じ味だという話がでてくる。イチゴ味もブルーハワイも同じ味なのに、見た目に左右され脳がこれは○○味だと判断するらしい。
その話が象徴的で、いろんなところに監督は仕掛けている(ように感じる)。


川のほとりに立つ朔子が、川に入っていくシーンがある。それはそれは、心底、美しいシーンだった。あんなに美しい波紋は見たことない!
でもそれは、明らかに作り込んだ波紋や背景だと、観ている者がわかるシーンでもある。まるでそれは汚れのない世界で、本当に美しく作ってあるのだけれど、それを美しいと感じるのも脳の錯覚なのだろうか?


ほとりから川に入っていけば、波紋は広がる。ほとりに佇んでいれば傍観者ですむけど、川に入っていけば、波紋を自分で受け止めなければならない。


いろんな所に違和感が差し込まれるように作られていて、4人が川から自転車で戻っていくシーンは、やけに画面が荒かったり(!?)して、まるでおとぎの世界から下界へと戻っていくみたいだなあと思ったり。

誕生日会での4人の心にもそれぞれ波紋が広がり、腹の探り合いも行われていく。傍観者のように観ている朔子だけど、朔子の心も動いていることがわかる。観ている観客も、映画の登場人物のそれぞれの心を探っていく。


フクシマからの避難者に対して、他者は、そのイメージを、“分かりやすい物語“ に落とし込もうとする。分かりやすい話にまとめてしまって、理解した気になっている。 (あれ、いかにもあの人は想田監督みたいだなと思っていたら、エンドクレジットで本当に想田監督だったことを知り驚きました。) そのことに対して、当事者であるタカシ(大賀)が持つ違和感。そして、傷ついているタカシに対して「かわいそう」と言ってしまえる、そういう意味ではまだコドモである朔子。 
「かわいそう」と言われたタカシは、朔子を衝動で殺すのではないかと思いましたが、優しい2人は私と違くて、そんなことは起きなかった。良かった。



深田監督作品を観るのはこれで2作目。『淵に立つ』と『ほとりの朔子』です。
「ほとり」は海や川・池などの水際を意味し、「淵」は底が深く水がよどんでいる所/容易に抜け出られない苦しい境遇を意味すると、ネットの辞書にはありました。
ほとりから淵へ。


深田監督が恐ろしいです。“ほとり” から “淵” へと行ったら、次はどこへ向かうんでしょうか。 意味にまみれてどんよりしちゃってる私は、果たしてついていくことができるんでしょうか。 それでも、「ついて行けるだけは行ってみたいです」と、最後の力を振り絞ってそう言ってみたい。
私の男…冬の二階堂ふみ
ほとりの朔子…夏の二階堂ふみ

夏の終わり、電車、浪人生、上り坂、パスポート、陶芸、湘南ナンバー、翻訳、海、花を食べる、不登校、自転車、川、わかれ道、石切り、枝、偽装ラブホテル、4曲めリピート、疎開、レストラン、着信、反原発集会、VIP、水着、教授、中学生、こんにちは赤ちゃん、家出、線路、夏草、駅のホーム、海岸、自分のこと
それぞれちょっと訳ありな登場人物。
この作品の空気感、好き。
演技してないようにも見える日常会話風な掛け合いも素敵でした。
そして何よりふみちゃんと太賀くんの演技がとてもよかったです。
作品の中で朔子と孝史が並んで線路を歩いていくシーン、映画のスタンドバイミーみたいだなと思いながら観ていたら、ふみちゃん演じる朔子の口から「スタンドバイミーみたいだね。」って出てきて「おお!」となりました。
普通の人が考える『遠い』という感覚と、世界中を飛び回っている人が考える『遠い』という感覚は違うのかな?
んーすごい好きだった。
物語が特に凝ってるわけでもなく、エンタメ性に優れた作品でもなく…

近いのは、河瀬直美かなー、、と言っても苦手できちんと最後まで見たことないんだけど。
個人的には、話してる話題が面白いから断然にこっちのが好きだった。

二階堂ふみの自然な演技よかった〜。普通にめっちゃうまい、、。
どうしてもアクの強い役をやってた人ってそのイメージに引っ張られてしまうけど、、全くそんなことなかった。
ただ、初めにこの演技じゃなくて、ヒミズとか地獄でなぜ悪いとかで見てるから余計によく感じた。

あとサイズが4対3でそれがとても良かった。見せたい部分がらほどよく強調されてて、カメラの置くところとかも絶妙に感じた〜。(感覚だけど)

あとは恋人たちにも似てると思った、、役者さんの演技限定だけど。どうやったらヘタうまい演技できるんだろーて。それが世界観になってるように感じる。(多分、1人だけその演技だったら浮くのだろうけど何人かその雰囲気持ってる人が出るから世界観になってるように感じた)

チチを訪ねて?の女優さんもすごい好きだった〜。
出てくる人達が皆、
本音を言ってないというか
建前で
相手のことをあまり意識してない感じがした。
作り手側は相手にぶつけられない気持ちをえがいているんだろうなと思った。

特に私がいいなとおもったシーンは
孝史がホテルでこんにちは あかちゃんを流すシーン。
あそこであれをかけた孝史は本当にすごいと思う。
中学生を笑顔にしたから。
いい映画。じめッとシンドイ、等身大の人生の匂いがする良い映画。

浪人生(受験戦争という社会の荒波第一波に負けて、社会の岸辺に打ち上げられた)、社会の中心からちょっとはみ出ちゃった「ほとりの」主人公が見た「社会」。

朔子は東京からやって来た「マレビト」である。ちょっと寄って、またすぐ帰ってゆく。その土地の社会生活に縛られない。(おばさんたちの心無い噂話の槍玉に上がることはない) それを主張するように、朔子のファッションはぜんぜん田舎の風景に馴染んでいない。

朔子はバイトしたことない=親が稼いだお金で、オシャレな喫茶店で平気でランチを奢る。つまり朔子は社会的にも経済的にも安全地帯におり、二重にも三重にも非当事者である。

若者たちから繰り出される、平手二発からの「面白くねえンだよ!!!帰れ!帰れ!」や「♪こんにちは赤ちゃん」が、その凄まじい破壊力とは裏腹に、一種の「可笑しみ」を帯びるのは、朔子含めわれわれ観客が「非当事者」だから。

「じぶんの事、じぶんが一番よく知っているのかな?」


さて、これから朔子は、自分の人生の当事者として、どうやって生きていくのかな。
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