バナンザ

インセプションのバナンザのネタバレレビュー・内容・結末

インセプション(2010年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

2回目2020/9/5

夢の世界を人間が創造した世界と捉えたのが面白い。幼少期の記憶がないことで、今が現実世界か疑いを持ってしまう。もしかしたら、死んだらあの人生は夢だったのかと気づくかもしれない。

クリストファーノーラン監督の映画には、空間を切り離した時間ギミック、無重力空間、雪平原が多く使われていると感じた。

古代ギリシアの宇宙観とソクラテスのイデア想起説・プラトンの洞窟の比喩を暗示的に表現した作品であると感じた。特に夢の第四段階でモルに再会したコブが「君は完ぺきじゃない。影だ。」という場面は洞窟の比喩に重ねている感じがする。

ギリシア世界の出の宇宙観では、神から与えられる規則の影響が地中を中心にした円状に強くなることと考えられていた。不動の動者である神々は地中の周りを公転していると考えられていた星々は神から規則を与えられその軌道に従っているが、神から最も遠くに存在している人々に過程の自由が保障された。出来事の結果は神によって定められているが、その出来事がどのように行われるかに関して人間の意志が影響力を持っていると考えられていたのだ。現実世界から第一段階までは、現実世界での想像力が大きく影響を持っていたが下層階に行くたびに崩壊しやすい世界になっていくという設定は、まさに神の力が弱まっていくことを意味していると感じる。

イデア想起説は、人間は死後に翼をもった馬の手綱をとって神々のイデアを見に行くという考えが前提となっている。一頭の馬は資質の良い馬であるが、一方は悪いため、神々の領域で知性を通じてイデアを確認するのに困難をきたす。悪い馬のせいで一時もイデアを観なかったものは人間になることはできない。生まれ変わりとして地中に戻る際中忘却の川を渡ることで、イデアを確認した記憶はなくしてしまうが、人間は芸術的作品や経験を通じて神々の世界で見たイデアを想起することが出来る。夢の真相世界のアイデアを定着させるとはまさに、忘却の川を渡る前にそのアイデアを確認していたという情報を植え付ける行為ではないかと私は思った。

プラトンは、『国家』の中で真実の世界と現実世界を区別して現実世界を洞窟の中で見せられている影絵に例えた。影を見ている現実世界の人間には真実世界の物事を見ることが出来ない。影絵の世界が世界のすべてであった人々が真実の世界の姿を知ったとき、人々はどのように行動をするかをプラトンは投げかけている。映画に照らし合わせた場合、創造者となったモルは、影絵にすぎない現実世界に戻ることが出来なくなってしまった。タバコ中毒になった人が禁断症状を避けるためにタバコを吸う感じなのだろうと思う。また、高品質のイヤホンを使い始めた人が高質への慣れから安っぽいイヤホンを使えなくなってしまった状態に似ている。アリアドネがコブの元に戻ってきたのも創造者としての真相世界の存在を知ったからだろう。
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