Yoshishun

シンデレラのYoshishunのレビュー・感想・評価

シンデレラ(2015年製作の映画)
3.8
“現代らしいシンデレラ”

名作童話『シンデレラ』をディズニーが約65年ぶりに映画化。リリー・ジェームズ、ケイト・ブランシェット、ヘレナ・ボナム・カーターらを迎えた実写版となる本作は、1950年のアニメ版とは大きくストーリー構成が異なっていた。

両親を亡くし継母とその娘たちにこき使われていたエラが、フェアリーゴッドマザーの魔法を借りて王子のいる舞踏会へ。王子と恋に落ちたエラは、落としたガラスの靴のおかげでめでたく王子と結ばれるのだった‥‥

という大筋は全く同じ。むしろ誰もが知っているTHE シンデレラストーリーといっていいだろう。そこに現代らしいアレンジを加えたのが今回の実写版といえる。

まず、アニメ版ではシンデレラ唯一の友達もいえる動物たちとの触れ合いにかなり尺が割かれていた。ネズミと猫のルシファーとのトムとジェリー的追いかけっこが多く、多少時間が割かれすぎていたものの大筋はしっかり外さずに作られていた。対する実写版は、動物パートはほぼカット。ベラベラ喋っていたネズミもチューチュー言うだけで、服も着ていない。あくまでシンデレラとその周囲の人物に大きく絞っての物語と変化している。

また、シンデレラがポリコレに配慮した強い女性像になっていたのも言及したい。アニメ版は両親との思い出などは殆ど描かれず、既に厭な継母たちに虐げられている姿が描かれてきた。いつか王子と結ばれることを夢見る如何にもヒロインな女性として描かれていた。しかし実写版では、王子と結ばれることを夢見るというより彼の持つ優しさに惹かれているので、王子だからOKではなく、一人の心優しい人間性に惹かれたのである。王子にぞっこんなプリンセス像は古いとされたのも、昨今の女性の地位を謳う世相を反映したものだろう。本作のシンデレラは母の死にも泣かないし、長い旅に出た父を泣いて見送る。アニメ版が製作された時代では到底考えられないシンデレラだろう。

ネズミらとの交流が大胆に省かれ、現代の世相に合ったシンデレラを違和感なく描けたのはさすがディズニーといったところ。しかし、細部では少し引っかかる部分もある。

ミュージカル演出も省かれたことで、フェアリーゴッドマザーの存在感が大きく削がれてしまったのが残念だった。おまけにヘレナ・ボナム・カーターでは明らかに若すぎてややミスキャストにも思えた。彼女の織りなす魔法でカボチャ、ネズミ、トカゲ、ダチョウが変身するホラー‥ではなくファンタジー描写は見応えがあった分、申し訳程度のビビデバビデブーは正直必要なかった。

またシンデレラは両親の築いた実家をあっさり捨てていったのも疑問が残る。序盤で両親とのエピソードを大幅追加していただけに、ラストでその両親との思い出に更けることなく去っていくのは雑に感じてしまった。

また国王などキャラクターも大胆に脚色されつつも、辿る結末については必要だったのだろうか。敢えてあのような結末にするには、物語の説得力が足りないだろう。
他に継母はケイト・ブランシェットの演技力はあるものの、アニメ版にあった冷徹さには欠けており、シンデレラへの嫌がらせもマイルドに仕上がっていた。娘とドレスを破く際も申し訳程度に肩部分だけ破くのもDVに厳しい現代を反映してのことだろうか。

実写版シンデレラは、ケネス・ブラナーによる王道ストーリーの大胆な脚色がアニメ版にはない驚きをもたらすことに成功しているものの、動物パートなど映像的な面白さや細部での粗が目立っていた。ただ舞踏会でのシンデレラ登場シーンの可憐さを始め、リリー・ジェームズやケイト・ブランシェットをはじめとした女性陣の美しさが十分に目の保養になるはず。
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