尿道流れ者

フォックスキャッチャーの尿道流れ者のレビュー・感想・評価

フォックスキャッチャー(2014年製作の映画)
4.2
母性というものは怖ろしいもので、その無償の愛は気遣いや愚かさなどの負を無かったものとして跳ね除け、愛によって傷付けてもしまう。母はそれに気づかず、子供だけが病んでいく。
この映画も母と子の関係図のなかで子が病んでいく。長い歴史を持つ名家の御曹司デュポンとレスリング兄弟の弟マークがこの映画での子供。デュポンは母に精を出すレスリングの価値を否定されるが何も言えない。話があると呼び出されてみれば、汽車の模型を寄付して良いかとおもちゃの話。まるで子供扱い。しかも、デュポンの答えも今はレスリングのコーチとか他の事に頑張ってるからそんなものには興味無いと、子供がお兄ちゃんぶったようなもの。さらに彼にはデュポン家の歴史が重荷となり、歴史のおかげで今の暮らしがあるし、歴史のせいで抜け出せないしとにっちもさっちいかない。

親の居ないマークにとって兄のデイヴが母代わりだった。そこに感謝はありつつも、常に前を行き、マークの功績もデイヴのものとして世間に認知され、苦渋を舐め続けていた。

認められたい、世間に、母に。そんな2人がフォックスキャッチャーでコーチと選手として出会い友情を築き、2人で栄光を掴み母に認められるはずだった。
しかし、いつまでも母にとって子は子であり、それは逃れられないし関係は変わらず認められないまま。やがてマークの兄デイヴもデュポンに金で口説き落とされフォックスキャッチャーにやってくる。再びマークは病み、崩れていく。こうやって、居なければ上手く行ったところにやってきて、子を困らせてしまうところも、デイヴが母としてこの映画で機能してるが所以で、本当にマークがかわいそう。
母が死んだデュポンはやっと呪縛から抜け出すが、やがてデイヴの持つ母性が自分にも向けられていることを知り、新たな母の存在に激しい怒りを覚える。歴史の一部であり実の生みの親である母とは違い、新たな母には歯向かうことができる。それが事件の発端。

反抗期を持たなかった子供の方がひきこもりになりやすかったり、犯罪率が高いみたいな情報を耳にしたことがあるが、これもその1ケース。愛や母性は非常に闇深い。